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原宿や渋谷より……? 浅草が「スイーツの街」にふさわしい歴史的論拠【連載】アタマで食べる東京フード(9)

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他の追随を許さないスイーツの街

 コロナで客足が遠のいていた浅草に、にぎわいが戻ってきました。週末ともなると、雷門と浅草寺を中心に、すごい人出です。

 心なしか、神谷バー(台東区浅草1)と東武鉄道浅草駅(同区花川戸)も、ますます輝いて見えます。前者は1921(大正10)年完工、アールデコの影響も感じるセセッション(分離派)様式、後者は1931(昭和6)年完工、堂々としたネオ・ルネッサンス様式。

 浅草を代表するモダン建築なので、ぜひ全景を眺め、デザインを楽しんでほしいと思います。

 とはいっても、浅草歩き第一の楽しみは、おいしいものの食べ歩きでしょう。

 天ぷら、そば、うなぎ、お好み焼き、釜めし、すき焼き、どじょう、洋食、焼き鳥、おでん……。あらゆる伝統食の名店が集中し、最近はフレンチの個性的な店なども次々と生まれています。

 スイーツの充実ぶりも、他の追随を許しません。

「スイーツの街」を名乗るところは全国にありますが、古いものから新しいものまでバラエティーがこれほどそろう場所はなく、しかも庶民的です。

 なかには創業300年以上の店もありますが、買ってその場で食べても大丈夫。どんな老舗でも気取っていないのが、下町のよいところです。

「みつ豆」の元祖は明治後期

「みつ豆」の元祖は明治後期

 創業150年以上の茶問屋「壽々喜園」(すずきえん、台東区浅草3)開発の“世界一濃い”抹茶ジェラートなど、歴史を生かした新しいスイーツ作りも盛んに行われています。

 意外に知られていないのが、浅草が「みつ豆」の発祥地だという事実です。

 考案したのは、「舟和」(同区駒形)創業者の小林和助。舟和といえば、なんといっても芋ようかんが有名で、その次があんこ玉ですが、実はみつ豆の元祖でもあったのです。

 ふかし芋と赤えんどう豆、寒天を売り歩く行商だった小林が、浅草に舟和を開業して芋ようかん、あんこ玉を売り出したのは1902(明治35)年。当時、練ようかんは高級品だったため、庶民が買いやすい値段の芋ようかんは大評判を取りました。

「舟和」本店2、3階でイートインできる元祖みつ豆680円(画像:畑中三応子)

 幕末から、しんこ細工(白米の粉「しんこ」を水で練って蒸した餅が原料の細工菓子)をその場で作って売る屋台の店で、しんこ餅で作った舟に、さらにしんこ餅、赤えんどう豆をのせ、みつをかけた駄菓子があり、子どもたちに人気がありました。

 翌1903年、これをヒントに、小林は角切りの寒天をプラスして、赤えんどう豆だけではなく甘煮のアンズ、しんこ餅のかわりに求肥(ぎゅうひ、白玉粉を練って蒸した餅菓子)をトッピング。黒みつと白みつを好みでかけるように添えて、みつ豆の名前をつけました。

 芋ようかんが練ようかんの大衆化だったのに対し、子ども向けの駄菓子を大人向きに、彩り豊かに味のバランスよく高級化したのが、みつ豆だったわけです。

こしあんをのせた「あんみつ」の誕生

こしあんをのせた「あんみつ」の誕生

 みつ豆の成功要因は、味のよさだけではありません。

 画期的だったのは、洋風の銀の器に盛りつけて、「みつ豆ホール」と名づけた洋風の喫茶スペースで提供したことです。それまで和菓子でイートインできるのは、お汁粉屋しかありませんでした。

 ちょうど明治の30年代は、文明開化によって流入して流行した西洋の食べ物が定着しはじめた頃。また、ビヤホールとミルクホールが誕生し、最先端スポットとして注目されていた頃です。みつ豆ホールも、その流れのひとつでした。

 シャンデリアが輝き、観葉植物が飾られた広々としたホールで、白いエプロン姿の女給仕人がサービス。まだテーブルと椅子自体が珍しい時代です。キラキラした雰囲気のなかで食べるみつ豆が、どれほどハイカラな食べ物に映ったことか、想像に難くありません。

現在の「舟和」本店2階喫茶室は、大正ロマン調の雰囲気(画像:畑中三応子)

 こうして高級甘味として創案されたみつ豆ですが、普及するにつれて、またもや駄菓子に回帰。大正時代になると、再び屋台で売られるようになりました。

 客が持参の小鉢や丼に赤えんどう豆と求肥、寒天を入れて黒みつをどろりとかけ、いちばん上にアンズをのせるのがパターンだったそうです。

 昭和に入ると、「三好野(みよしの)」という名の、和菓子のチェーン店が東京のいたるところにでき、みつ豆を再び大ヒット商品に押し上げて、ほとんどの甘味処の定番メニューになりました。

 そんななか、創案されたのが「あんみつ」です。

俳句にも詠まれた当時の人気ぶり

俳句にも詠まれた当時の人気ぶり

 1894(明治27)年、銀座で最初の汁粉屋として創業した「若松」の2代目主人が、「もっと甘いものが食べたい」という常連客の要望にこたえ、みつ豆にこしあんをのせました。大いに受けて、あっという間に全国に広がったというものです。

 この頃、自由律の俳人、橋本夢道(はしもと むどう)は舟和と若松に若い女性たちが行列しているのを見て、

「みつまめをギリシャの神は知らざりき」
「君知るやこのみつまめの伝説を」

の2句を詠みました。人気のほどがわかります。1936(昭和11)年前後からは、フルーツみつ豆の缶詰が出回るようになりました。

 近年、白玉、とりどりのフルーツ、アイスクリーム、ソフトクリームと、トッピングが豪華になり、味は濃厚になる一方ですが、原点になるみつ豆と、アレンジの最初の一歩だったあんみつのシンプルなおいしさは、ぜひ押さえておきたいものです。

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