関東大震災の復興を支えた多摩川「砂利鉄道」と今も残る「砂利穴」とは
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巨大産業だった多摩川の砂利採取
かつての多摩川流域では、砂利採取が巨大産業となっていました。多摩川の砂利は江戸時代から道路や庭園などの敷砂利に使われていましたが、明治時代になると道路や鉄道に敷くためのバラスト用の需要も出てきました。
砂利採取の作業は周辺の農家にとって貴重な収入源でしたが、明治の頃にはまだ人力に頼る大変な作業でした。そのぶん実入りはよく、江戸時代から採掘人夫は昼飯にも白い米を食べることができるほどでした。
砂利採取は、まず砂利を鋤簾(じょれん、土砂やごみなどをかき寄せる道具)を使ってかき寄せることから始まるのですが、河原に堆積した砂利は硬く積み重なっていて、容易には掘れません。かき集めるのも一苦労です。
こうして集めた砂利をふるいにかけて細かな土砂を落としてから、大きさも調整して運搬されます。かなりの重労働で、1日ひとりあたり4~5平方メートルくらいを掘るのがやっとでした。
関東大震災後に需要が伸びた砂利
砂利採取が機械化され、多摩川の砂利の需要が飛躍的に伸びるのは、関東大震災(1923年)後のことです。震災復興で、東京には当時最新の技術だった鉄筋コンクリートの建物が増えます。
コンクリートの歴史は古く、古代ローマ時代からと言われています。しかし、コンクリート単体では圧縮力に強い反面、引張力には弱いという弱点がありました。そこで19世紀のフランスで誕生したのが、コンクリートの芯に鉄筋を用いて強度を高める方法でした。
この技術はもともと植木鉢の強度を高めるために編み出されましたが、その後、建築物でも使われるようになり、20世紀には新しい技術として実用化されました。
数々の鉄道会社が砂利運搬に参入
それまで丈夫に見えたレンガ造りの建物が関東大震災であえなく崩壊したこともあり、東京ではより強い構造として、鉄筋コンクリートの建物が多く建設されるようになったのです。
コンクリートの需要が増えたことで、その材料である砂利の採取は盛んになります。中でも多摩川は都心にも近く、川床が広くて平らということもあり、絶好の砂利採取地となっていきます。
この砂利の運搬に使われたのが鉄道路線です。多摩川の砂利を運搬するための鉄道建設は、関東大震災前から始まっていました。中央線の前身である甲武鉄道では、1892(明治25)年に早くも砂利運搬路線を敷いています。
主な例を挙げると、1907年に二子玉川まで開通した玉川電気鉄道(東急の前身。設立当初は玉川砂利電気鉄道という名称)、1910年にできた東京砂利鉄道(その後、国鉄下川原線となり廃線)、1916(大正5)年に開通した京王電気軌道(現・京王電鉄)の調布~多摩川原(現・京王多摩川)間、1922年にできた多摩鉄道(現・西武多摩川線)などがありました。このほか、現在のJR南武線や五日市線なども砂利運搬を行っていました。
とにかくあらゆる鉄道会社が砂利を都心に運搬して収益をあげることを目的に、多摩川を目指して路線を敷設していたのです。
砂利を盗掘する者も出現
関東大震災後は、機械化で採掘量の増えた砂利をこれらの鉄道が都心へと運んでいきました。最盛期には大小200あまりの業者が砂利を採掘し、数千人が働いていました。掘ればもうかるとあって、砂利を盗掘する者も後を絶ちませんでした。
あまりに無秩序に砂利の採掘が行われたことで、河川は荒れ、洪水の恐れが出たり、用水の取水口や橋げたが破損したりしました。
そのため1934(昭和9)年、川崎宿河原辺りでの砂利採掘は禁止に。その後、採掘禁止は拡大。最終的に1965年に全面禁止となりました。
現在も残る「砂利穴」
それでも砂利採取は終わりませんでした。もともと暴れ川だった多摩川は河道の変遷が幾度もあり、現在は陸地になっているところにも砂利が滞積していました。そのため、河川での砂利採取が禁止されてからは、陸地で砂利を掘る陸堀が盛んになっていきます。
こうして陸堀と禁止地域外での採掘は続きましたが、次第に採掘ができる範囲は狭まっていきます。残された鉄道の周辺では宅地化が進み、かつての砂利鉄道は通勤路線へと姿を変えていきました。
大規模な採掘が行われた多摩川では、あちこちに採掘後放置された「砂利穴」がありました。水がたまった砂利穴は子供の遊び場となり夏になるとプール代わりに使われました。
この砂利穴は現在も姿を変えて残っています。多摩川競艇場(府中市是政)はもともと、巨大な砂利穴でした。また等々力緑地には砂利穴が現存しています。等々力緑地は川での採掘禁止を受けた東京横浜電鉄(東急電鉄の前身のひとつ)が、陸堀のために買収した「新丸子採取場」でした。
ここでの採掘は1940(昭和15)年に終わりましたが、残された巨大な穴に湧き水がたまり七つの池ができました。これは「東横池」と通称されていましたが、戦後にはコイやフナが放流され「東横水郷」の名で釣り堀として利用されました。等々力緑地の日本庭園の池や、釣り堀は、この池を利用したものです。
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