実はむかし駅でした「スカイツリー」「国技館」「ヨドバシAkiba」 もう一つの共通点とは? 埋もれた「港」の痕跡
- 乗りものニュース |

東京の人気スポットである東京スカイツリーや両国国技館、秋葉原の「ヨドバシカメラ マルチメディアAkiba」には、共通点があります。立地が駅前であることに加え、川からも近いのです。これらの最寄り駅はかつて“河港”がありました。
3大スポットは全て「貨物駅」 しかも共通点がある
東京スカイツリーや両国国技館、秋葉原の「ヨドバシカメラ マルチメディアAkiba」は東京の人気スポットですが、実はこれらの場所は、かつて貨物駅でした。
秋葉原駅北東部にある「ヨドバシカメラ マルチメディアAkiba」と、手前の駅前バス・ロータリーの場所には、かつて大きな船渠があった(深川孝行撮影)
そして3つの貨物駅に共通したのが、「河港」を持っていた点です。
東京東部の下町は隅田川や荒川をはじめ水路や運河も多く、舟運(水運)に便利なので、明治期から工場がたくさん進出していました。
並行して、東京と地方を結ぶ鉄道も続々と整備され、下町に「舟運接続駅」と呼ばれる貨物取扱駅が誕生します。河川・運河の隣に駅を造り、艀(はしけ。エンジンがなく、タグボートに曳かれる船)を貨物列車に横付けして、荷物の積み降ろしができる駅のことです。
貨物ヤード内に船渠(せんきょ。船溜まり、ドック)があり、まさに「河港」です。物流の多くを舟運に頼っていた周辺の工場や市場にとって、極めて便利でした。
東京には船渠を持つ駅が、秋葉原、錦糸町、両国、業平橋(2012年にとうきょうスカイツリーに改称)、隅田川(貨物駅)、小名木川(同)の6駅もありました。
しかし残念ながら、トラック輸送の発達のあおりで、全駅とも1970年代初めまでに舟運接続駅の看板を外し、船渠もすべて姿を消しました。また、隅田川、小名木川以外の4駅では貨物取扱業務も終え、小名木川は駅自体が消滅しました。
秋葉原に存在した珍しい仕掛け
秋葉原駅は、そもそも貨物駅として1890年に開業しました。旅客営業が始まったのは1925(大正14)年のことです。
当時私鉄の日本鉄道(1906年に国有化)は、東北・上越方面の鉄道敷設を進め、東京の終着駅・上野の貨物専用窓口として「秋葉原貨物取扱所」を開設しました。これが秋葉原駅のルーツです。舟運との接続を考えて、神田川の隣接地に駅を建設し、貨物ヤードには比較的大きな長方形の船渠も備えました。
貨車が船渠にアプローチする方法も独特で、船渠の周囲を線路で囲み、この四隅などには人力の転車台を備え、貨車を方向転換しました。
やがて駅は高架となり、荷物の積み降ろしに不便になったことから、貨物取扱の大半を新設の隅田川駅に譲り、1950年代半ばには船渠も潰され、1975年には貨物業務も終えました。
大繁華街・錦糸町も“舟運連絡”
錦糸町駅(墨田区。1894年開業)は、明治期に房総方面で鉄道敷設を進める私鉄の総武鉄道(1907年国有化)が、東京の終着駅「本所停車場」として開業したのがルーツです。
江東地区を南北に走る大横川のそばに駅を建設し、駅北側に貨物ヤードを用意、同川と連絡する船渠1本を設け、「錦糸堀」と呼ばれました。
主な発送荷物は、鉄鋼関連、石炭、米、人造肥料、薬品。主な到着荷物は、米、丸太・木材、鉱物関係、鉄鋼関連、木炭、れんが、洋紙、薬品と多様で、相当量を艀が担いました。特に主に東北地方から届く丸太の多くは、船渠で筏(いかだ)に組まれ、近くの木材の街・木場まで、タグボートで牽引されました。
同駅の貨物業務は1968(昭和43)年に終了し、貨物ヤードは1990年代後半に高層ビル群へと再開発されています。
両国駅は銚子と直結、生鮮野菜や活魚を築地に舟運
両国駅(墨田区。1904年開業)は、総武鉄道が都心とのアクセスをよくするため、前述の錦糸町駅から線路をさらに西に伸ばし、隅田川のそばに設けた駅です。
当初は「両国橋駅」と呼ばれ、駅北側、現在の両国国技館や江戸東京博物館の場所に、広い貨物ヤードを持ち、隅田川と連絡する全長約400mの船渠が1本ありました。
主に房総方面との荷物のやり取りで栄え、発送荷物は、醤油の原材料の大豆や塩(大半が銚子のヤマサ、ヒゲタ両醤油会社向け)、米が多かったようです。到着荷物は醤油や生野菜、洋紙、小麦粉、サツマイモ、果物、活魚などで、生鮮品や活魚を載せた艀が隅田川を下り、築地市場の岸壁を目指しました。
同駅も1969(昭和44)年に貨物業務を終えました。
隅田川の蛇行部に広がる「串の歯」船渠群
隅田川駅(荒川区。1897年開業)は、明治期に本格開発された常磐炭鉱(茨城・福島両県)の石炭を、東京に運び込むための集積地として造られました。隅田川の蛇行部分を選び、水路を内陸部に引き込んで、串の歯のように、大規模船渠3本(後4本)、小規模の船溜まり2本(後3本)も構築した、かなり大規模な舟運接続駅です。
到着荷物の大半は石炭で、広大な貯炭場を備え、大型の門型クレーンを使い横付けの艀に石炭を載せ替えました。石炭は、近くの「お化け煙突」で有名だった千住火力発電所や、周辺のガス、鉄鋼、セメント、製紙関連工場、遠く横浜にも艀で運ばれました。
1970(昭和45)年に船渠は埋められたものの、貨物駅として現在も活躍中です。
そしてスカイツリーになった貨物駅「業平橋」
業平橋駅(墨田区。1902年開業)は、最初「吾妻橋駅」と呼ばれ、一時廃駅になりつつも、1908(明治41)年に貨物駅として復活、2年後の1910(明治43)年には旅客事業も蘇り、「浅草駅」と改名されます。貨物取扱量の急増に対応して、貨物ヤードを拡張し、隣接の北十間川に通じる全長数百mの船渠も構築します。
到着荷物は砂利や石材、石灰石などで、相当数は艀が運びました。船渠は1950年代後半に埋め立てられ、貨物業務も1995年も終えています。
巨大商業施設になった貨物駅も
小名木川駅(江東区。1929年開業)は、激増する東京市内の鉄道貨物に対応するために造られた舟運接続の貨物駅です。総武線から分岐した貨物線「小名木川線」と同川の交差地点に、広大な貨物ヤードを確保し、構内には巨大な船渠を1本備えました。
到着荷物は、木材、鉄鋼関連、米、麦など、発送荷物は、化学肥料、食塩、石炭、機械類、砂糖などで、かなりの量が艀でやり取りされました。
舟運接続は1960年代に廃止され、船渠も埋め立てられています。また駅自体も2000年には廃止され、現在は複合商業施設「アリオ北砂」へと変貌しています。
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