ポルシェ博士と「軍用車」 奇抜すぎることで知られる戦車の一方で本職のクルマは…?
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ミリタリーというくくりでポルシェ博士を見た場合、奇抜な試作戦車を作った人という事実は先行しがちです。しかし、元々ポルシェ博士の本職はクルマの技術者ということで、軍用車に関しては大きな成功を収めています。
戦車の開発は冒険するが軍用車の方は信頼性重視
第2次世界大戦中のフェルディナント・ポルシェ博士というと、駆動がハイブリッド方式だった「ポルシェティーガー」や、超重戦車「マウス」など、奇抜な試作戦車を作った人という事実が先行しがちなものの、元々クルマの技術者ということで、軍用車の面では大きな功績を残しています。ポルシェ博士の生い立ちも追いつつ見ていきます。
第2次世界大戦期、東部戦線で撮影された「キューベルワーゲン」(画像:ドイツ連邦公文書館)。
ポルシェ博士の軍事面での功績として一番有名なのは、おそらくドイツ軍緒戦の電撃戦に貢献した「キューベルワーゲン」です。1938(昭和13)年1月に、オフロードなどの過酷な状況に耐える軍用車を開発せよという命令がポルシェ博士に下り、作られたものです。
初運用は1939(昭和14)年9月のポーランド侵攻で、実戦テストをかねてのデビューとなりました。整備性の良い空冷エンジン、リアエンジンならではの不整地走破性の高さ、その足回りを支える強靭なサスペンション。最高時速は83km/hになるにも関わらず、歩兵の行軍速度を考慮して4km/hの超低速ギアをつけるなどし、それまで各国で使われていたサイドカー付き自動二輪よりも実用性が高く、現場の評判も非常に良いものでした。同車は第2次世界大戦初期の、機械化部隊を主軸としたドイツの機動戦を支え、アメリカ軍のジープにも大きな影響を与えたといわれています。
「キューベルワーゲン」のルーツは、「KdF(カーディーエフ)ワーゲン」にあります。それはポルシェ博士が、「国民の大衆車」を想定してアドルフ・ヒトラーの要請で開発を続けていた車両で、戦後にはあの「ビートル」の愛称で親しまれた、「フォルクスワーゲン」として世に出ます。
最初にポルシェ博士に注目したのはスターリンだった!?
ポルシェ博士は1875(明治8)年9月3日、オーストリア=ハンガリー帝国のマッフェルスドルフ(2020年現在はチェコ共和国内)にブリキ細工職人の子どもとして生まれました。成人してからは、オーストリアで自動車製造に関わり、1900(明治33)年4月14日に「パリ万国博覧会」で「ローナーポルシェ」を公開します。この車両は車輪のハブにモーターを搭載したもので、現代のハイブリット車が装備するインホイールモーターの先駆けといわれています。
第1次世界大戦でオーストリア=ハンガリー帝国が敗戦し、崩壊すると、紆余曲折を経たのち大衆車の開発を夢見てドイツに移り、1931(昭和6)年(1930年説もあり)にはシュトゥットガルトに設計とコンサルティングを行なうポルシェ事務所を立ち上げます。
しかし、意外なことに、最初にポルシェ博士の能力を高く評価したのはドイツではなくソビエト連邦でした。1932(昭和7)年にソ連を訪問した際、ヨシフ・スターリンに、自動車や航空機、戦車、トラクターなどを開発する「国家設計家」という破格の待遇で迎える用意があると伝えられたそうですが、ソ連では大衆車の開発は難しいだろうと断っています。その後、1933(昭和8)年1月にドイツでナチスが政権を獲ると、ヒトラー政権の目玉のひとつとして大衆車生産が掲げられ、その開発をポルシェ博士は依頼されることになります。
KDFワーゲン工場建設の着工式典に臨むポルシェ博士(写真右端)。演壇に立つのはアドルフ・ヒトラー(画像:ドイツ連邦公文書館)。
結局、この大衆車の開発に関してはヒトラーが「KdFワーゲン」と命名し、それを生産する街「KdFワーゲン市(現ヴォルフスブルク)」も1938(昭和13)年に作られますが、直後にドイツは戦争状態に突入し、本来KdFワーゲンを作るために建造された工場は軍用に転用されます。
水陸両用車なども開発するがその活躍が災いして……
ポルシェ博士も前記したように軍用車開発に携わり、1941(昭和16)年には、四輪駆動バージョンのキューベルワーゲンに当たる「Typ 87」を開発しました。そして、大戦中に最も多く生産された軍用水陸両用車「シュビムワーゲン」などを開発し、1942(昭和17)年春頃から各戦線に配備されるようになります。戦車に関しては、同じ時期にいわゆる「ポルシェティーガー」なども開発していますが、試作止まりで、車体を流用した「エレファント重駆逐戦車」が少数ですが実戦投入されました。
あまり知られていませんが、実はポルシェ博士は、ポルシェ製「ティーガーII」にもハイブリッド駆動方式を採用する計画だったそうで、とはいえさすがに戦局も悪化しているということで却下となりました。なお、「ティーガーII」の大多数を生産したのはヘンシェル社ですが、若干デザインの違う、曲線の強い砲塔を装備したポルシェ製の「ティーガーII」も50両ほど生産されています。しかし、砲塔自体はクルップ社開発のものでした。
戦車では、あまり成功とはいえなかったポルシェ博士の設計思想ですが、戦後の軍用車、乗用車には大きな影響を与えます。戦後の東ドイツの軍用「トラバント」、西ドイツのDKW「ムンガ」は、戦後の各国の軍用車がジープっぽいデザインになるなか、「キューベルワーゲン」の影響を色濃く受けています。
また、止まっていた大衆車の量産も、戦後すぐにイギリスの協力を得て、ヴォルフスブルク市と名を変えたKdFワーゲン市が、「フォルクスワーゲン」の量産に乗り出します。
1948年に撮影されたポルシェ356の試作2号車(画像:ポルシェ)。
しかしポルシェ博士はというと、戦後まもなく、連合軍に戦中のドイツに多大な貢献をしたとして拘束されます。そのときはすぐに開放されますが、今度は1945(昭和20)年12月、「戦争中にフランス国民を搾取した」という濡れ衣を着せられ、同年12月から1年7か月もの期間、投獄されるなど、晩年は苦労の連続でした。
1947(昭和22)年8月に戦犯の疑いが晴れて釈放され、そして同年9月に、息子のフェリー・ポルシェにより、ようやくポルシェ社として初の量産車、「ポルシェ356」の生産が開始されます。
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