160万都市近郊から消えた「国鉄勝田線」残っていれば大化けした? 背景に路線バス
- 乗りものニュース |

今から40年以上前、九州最大の都市・福岡市から東側のベッドタウンを結ぶ「国鉄勝田線」が運行されていました。その沿線は当時から人口が急増していたため、「残っていれば……」との声も聞かれますが、なぜ廃止に至ったのでしょうか。
廃止の赤字ローカル線「国鉄勝田線」 沿線の町はいまや人口3倍増!
福岡市は人口160万人以上(2020年)、広域の都市圏では200万人以上を擁し、JRや西日本鉄道・市営地下鉄などの鉄道網が集中するなど、言うまでもなくその都市規模は九州最大です。その福岡市に隣接し、ベッドタウンも形成されている糟屋郡の南部で、1985(昭和60)年まで運行されていた「国鉄勝田線」の存在が、人々の記憶から忘れ去られようとしています。
勝田線は、鹿児島本線の吉塚駅から筑前勝田駅まで全長13.8kmを結び、沿線に数多く存在した炭鉱からの石炭輸送・工員の通勤手段として、最盛期は朝4時台から旅客列車が運転されるほどの賑わいを見せていました。
旧国鉄勝田線、志免駅跡は鉄道公園となっている(宮武和多哉撮影)。
起点の吉塚駅はJR博多駅の北隣で、繁華街の天神エリアまでも2km強という距離です。勝田線の廃止が検討されている時期にも吉塚駅の近隣に福岡県庁が移転(1981年)したうえ、廃止された駅や路線の至近距離には、いまや「イオン福岡」「イオン福岡東」などが立ち並んでいます。
また、沿線の糟屋郡志免(しめ)町や宇美(うみ)町は、炭鉱の閉鎖とともに斜陽化の一途をたどりましたが、廃止決定前の1980年代には一転して、福岡市郊外のニュータウンとして急激な人口増加が続いていました。特に、戦後は国鉄所有だった「志免砿業所」(1964年閉山)を擁していた志免町の2021年現在の人口は、炭鉱閉鎖当時の3倍にあたる4.6万人、まだまだ増加も見込まれるという状況で、もはや住民が望めば単独で市政を執行できそうな勢いです。
鉄道としての勝田線は、博多や天神に直通してはいないものの、中心街の近くまで達していたうえに、その後の沿線の発展ぶりからも、「あの路線が残っていれば……」と廃止を惜しむ声も未だに聞かれます。しかし1980(昭和55)年の「国鉄再建法」から始まった赤字ローカル線廃止の動きのなか、輸送密度が1日900人以下と当時の廃止基準の半分にも届かなかった勝田線は、最も早期の「第1次廃止対象路線」に指定され、反対運動も盛り上がらず鉄道としての使命を終えました。
当時、勝田線はなぜあっさりと廃止されてしまったのでしょうか。
「西鉄バスが何とかしてくれる」?
もともと勝田線は1918(大正7)年、後述する西鉄の前身のひとつである私鉄「筑前参宮鉄道」の路線として開業しましたが、その沿線では戦前から同社によって路線バス事業が展開されていました。合併によってエリアを引き継いだ西鉄バスは、1964(昭和39)年と早い段階で大規模な営業所を宇美に開設するなど、勝田線の斜陽化が進む前からこの地域に力を入れていたと言えるでしょう。
旧勝田線沿線の志免・宇美から天神を結ぶ「34番」は、吉塚駅東口~勝田・原田橋間がおおむね鉄道に近いルートを走行し、勝田線が廃止される前から1時間3~5本のバスが設定されていました。現在ではさらにほかの系統や、福岡都市高速道路を経由する快速便もあり、バスがおもに経由する県道68号線(福岡太宰府線)では朝方には1時間10本以上のバスが天神や博多駅方面に運行されているため、大きく待たされることはほぼありません。
県道68号線沿いの下志免バス停。博多駅、天神、大濠公園行きのバスが多く停車する(宮武和多哉撮影)。
現役当時の勝田線を振り返ると、1964(昭和39)年に炭鉱の閉鎖と国鉄の赤字転落が重なったこともあり、旅客輸送は運転本数、サービス面ともに大きく改善されないままでした。博多駅への乗り入れも早々に消滅し、廃止が取り沙汰されはじめた頃には、キハ58などのディーゼルカーが1日6~7往復ほど行き交う状況が続いていたのです。かたや勝田線の廃止が勧告される頃の西鉄バスは、「旅客が動く方向にとりあえずバスを開業させる」というほど勢いのある機動力を見せており、すでに県内各方面で鉄道に匹敵するサービスを展開していました。
自治体が鉄道廃止に反対しなかったのも、福岡市内の他地域の状況を見たうえで「西鉄バスなら今後も積極的に運営してくれるだろう」という判断に至ったのかもしれません。
もし「西鉄宇美線」のままだったら?
九州北部の鉄道路線はおもに石炭運搬のために敷設されたものが多く、旅客の動線に沿っていないことが、エネルギー革命後の衰退を早めたケースも見られます。吉塚駅止まりだった勝田線もその一つで、天神・博多駅と直結するバス路線に旅客を奪われたのは否めません。
また志免町および宇美町で人口が増加したエリアは、勝田線に並行するものの、西に離れた県道沿いの地域がメインで、地下に坑道が多く残る鉱業所跡や、ため池などがある東側は、開発の余地が若干少なめです。さらにその北東側にはバスだけでなくJR香椎線や篠栗線もあり、鉄道路線としての勝田線の「伸びしろ」は、人口の増加分ほど見込めなかったのではないでしょうか。
なお筑前参宮鉄道によって開業した勝田線は、戦時中に鉄道5社を統合した現在の西鉄(西日本鉄道)が発足し、同社の路線「宇美線」として運行されていた時期があります。当時の西鉄は前身の一つである「九州鉄道」が目指した旅客輸送の強化を受け継いでいましたが、その後、宇美線と糟屋線(現・JR香椎線)は1944(昭和19)年に国有化され、戦後に西鉄へ戻ることなく現在に至ります。
志免鉱業所(志免炭鉱)の竪坑跡(宮武和多哉撮影)。
炭鉱の関係もあって国の買収は避けられなかったかもしれませんが、仮に勝田線および香椎線が西鉄のままであれば、国鉄の経営難に巻き込まれることもなく設備の近代化が進んでいたのかもしれません。ほかにも、西鉄子会社の筑豊電気鉄道が構想していた直方~福岡市内の新線(現在のJR篠栗線に近いルート。1971年に免許失効)乗り入れによる市内直通や、免許取得のみで終わった勝田線の大宰府延伸、雑餉隈(ざっしょのくま)~博多間の新線など数々の構想が実現していた可能性もあります。
そうなると現在も非電化(ただし蓄電池車両を走行)単線の香椎線も含めて、福岡平野全体の鉄道のあり方が今とまったく違っていたのかもしれませんし、逆に近代化が進まない路線がまとめて早期にバス転換されていたかもしません。いずれにせよ、今となってはすべてが過去の話です。
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