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銀座線は「三浦半島へ直通」してたかも? かなり具体的だった「私鉄乗り入れ計画」が潰えたワケ 背後に“大物実業家”の影

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東京メトロ銀座線は相互直通運転を行っていませんが、かつては現在の京急と線路をつなげて直通運転をする計画がありました。

銀座線は品川を目指していた

 東京の地下鉄は13路線中10路線がJRや私鉄と相互直通運転を行っています。このうち銀座線は直通運転がない路線ですが、かつては京浜電気鉄道(現・京急電鉄)と直通運転する計画がありました。

Large figure1 gallery2京急電鉄の列車(画像:写真AC)

 戦前に建設された銀座線と戦後最初の丸ノ内線は第三軌条方式を採用しましたが、1956(昭和31)年の都市交通審議会答申第1号以降、都営1号線(浅草線)以降の路線は相互直通運転が原則となりました。実際、建設費削減のためリニアメトロ方式を採用した都営大江戸線以外はそのように建設されました。

 孤高の銀座線は、1927(昭和2)年開業の東京地下鉄道(浅草~新橋)と1938(昭和13)年開業の東京高速鉄道(新橋~渋谷)という二つの民営鉄道事業者がルーツです。両社線は1939(昭和14)年9月に直通運転を開始して事実上一体化し、1941(昭和16)年設立の帝都高速度交通営団(営団地下鉄)に統合されました。つまり、相互直通運転から発展した路線です。

 しかし銀座線にはもう一つの相互直通計画がありました。東京地下鉄道は品川~浅草間の免許を有しており、このうち新橋~浅草間を第一期線と定め、上野~浅草間から着工しました。続いて品川~新橋間に着手するにあたり、パートナーとして浮上したのが京浜電気鉄道、現在の京急電鉄です。

 東京地下鉄道は上野~浅草間の着工に先立ち、1925(大正14)年5月に三田から大崎町(五反田)を経由し、荏原郡池上村(馬込)に至る路線の免許を出願しました。申請は1928(昭和3)年5月に大崎町まで、翌1929(昭和4)年4月に馬込まで免許されました。

 一方その頃、省線(国有鉄道)と東京市電から離れた北品川(八ツ山)を起点としていた京浜電気鉄道は、東京市(当時)内への乗り入れを模索していました。1925(大正14)年に高輪(品川駅西口)ターミナルを開設し、市電の線路を経由して乗り入れを開始したものの、「高速電車時代」とは逆行する形態でした。

 そこで翌年5月に蒲田から分岐して五反田に至る「五反田線」を申請し、9月には五反田~田町間を追加申請しますが、蒲田~五反田間のみ1928(昭和3)年5月に免許されました。

 東京地下鉄道と同時期に免許されたのは偶然ではなく、重複区間の扱いを調整していたようです。最終的に両社は、馬込線と五反田線の並行区間は東京地下鉄道が建設し、京浜電気鉄道が乗り入れる契約を1930(昭和5)年に結びます。『東京地下鉄道史』に具体的な区間は記されていませんが、ルートを重ね合わせてみると、戸越付近から共用するつもりだったと思われます。

 両社の乗り入れは具体的な検討も行われていました。例えば湘南電気鉄道(現在の京急本線黄金町以南)が1930(昭和5)年の開業にあたり導入した「デ1形」の車両寸法(長さ16.120m×幅2.54m)は、地下鉄乗り入れに備えて東京地下鉄道「1000形」(長さ16m×幅2.59m)に準拠しています。パンタグラフと第三軌条から集電するコレクタシューを両方装備する計画でした。

「五反田経由」から「品川経由」で横浜直通構想

 京浜電気鉄道にとって五反田線は、営業エリアを山手地域に拡大する可能性を持つ反面、過大な投資となる恐れがありました。日本経済が深刻な不況に陥る中、次善の策として省線品川駅への乗り入れに舵を切ります。

 これにて両社の五反田方面延伸は沙汰止みとなりますが、相互直通運転構想は形を変えて再浮上します。東京地下鉄道は1930年代半ば、東京高速鉄道からの直通運転要望に対抗するため、品川・五反田方面への延伸計画を具体化させなければなりませんでした。

 しかし東京地下鉄道には独力で建設する資金力がなかったため、京浜電気鉄道、湘南電気鉄道と協力して「京浜地下鉄道」を設立し、同社が建設する品川~新橋間を介して京浜電気鉄道と東京地下鉄道が相互直通運転を行う契約を締結しました。

 東京高速鉄道を率いる五島慶太は、この計画を潰すべく京浜電気鉄道と東京地下鉄道の乗っ取りを仕掛けました。激しい経営権争奪戦の末、東京地下鉄道、東京高速鉄道、京浜地下鉄道は交通営団に統合されることになり、京浜電気鉄道との直通計画は幻と消えました。

戦後に復活!? 孤高の銀座線「直通運転」構想

 ただ、銀座線の相互直通運転構想は戦後にもう一度、浮上します。渋谷と二子玉川を結んだ東急玉川線は明治末に開業した旧態依然の路面電車であり、戦前の時点で輸送能力が限界を迎えつつありました。

 東急は1956(昭和31)年、銀座線規格で渋谷~二子玉川間の免許を出願しますが、小型車両、短編成の銀座線では高度成長の輸送需要急増に応えられないため、普通鉄道規格、つまり現在の東急田園都市線渋谷~二子玉川間と半蔵門線の直通運転にアップデートされました。

 こうして銀座線は完結した路線のまま現在に至りますが、実は試行錯誤の歴史は現在にも影響を与えています。

 1941(昭和16)年に鉄道省が設置した「地下鉄道建設技術委員会」は、将来の直通運転実施に向けて規格を検討しており、これが戦後の相互直通車両規格の下敷きとなりました。銀座線との直通運転が実現しなかった京急も、この規格のもとで都営1号線との直通を実現させたのです。

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