東大のシンボル「赤門」、実は正門ではなかった!
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東大といえば「赤門」が有名だけど
日本の大学の最高峰に位置する東京大学(文京区本郷)。歴史も古く、日本で最初にできた大学です。
もとは、江戸幕府の昌平坂学問所、開成所、医学所を明治政府が統合し、幾度かの組織改編を経て生まれた組織。1877(明治10)年4月に「官立東京大学」として誕生しています。

現在の東京大学は、この大学が設立された4月12日を「東京大学記念日」としています。
ところが、1886(明治19)年になって、この東京大学はいったん廃止されています。この年に帝国大学令が交付されて、官立東京大学は「帝国大学」に名前を改めます。地名はなくて、帝国大学というのが正式名称です。
なぜならこの時点で帝国大学は、ひとつしかなかったからです。
その後1897年になって京都にも帝国大学ができることになり、「東京帝国大学」に改称。戦後、1947(昭和22)年に東京大学(制度は旧制)に改称、1949(昭和24)年に現制度下での東京大学へと改称します。
そんな東京大学のキャンパスは、
・文京区本郷
・目黒区駒場
・千葉県柏市
の3か所がメイン。柏キャンパスは、東京ではなく千葉県内にあり最寄り駅からも少し距離がありますが、通っている大学院生に聞くと「思ったほど悪くない」とのことです。
さて、これらキャンパスの中でも、メディアによく登場するのは本郷キャンパス。それも「赤門」が登場する機会がやたらと多く感じられます。
「正門」がメジャーにならないワケ
赤門は、本郷通り(国道17号など)に面している旧加賀藩前田家上屋敷の御守殿門。誰もが普通に通っていますが、国の重要文化財です。
とても絵になるためか、東大を訪れた人はたいていここで記念写真を撮っています。
しかし、実は赤門はキャンパスの「正門」ではありません。東大の正門はこれとは別に、本郷通りを北上したところにあります。
こちらも1912(大正元)年につくられた伊東忠太の設計によるもので、登録有形文化財になっています。でも、人通りが多いのは赤門の方です。
なぜなら、多くの学生が利用している東京メトロ丸ノ内線・大江戸線の本郷三丁目駅は、赤門そばに位置しているからです。 また、何かの用事があって東大を訪れた人向けのお土産物店も、赤門を入って左側にあります。

正門はキャンパス奥に位置する安田講堂まで一直線に見渡せますし、秋ともなるとイチョウ並木が現れるですが、赤門と比べるといまいちメジャーになれません。
メディアが東大生にインタビューしたいとき、あるいは企業が商品の販促で試供品を配るときなどに、たいてい赤門の前というロケーションを選ぶのは、背景が絵になることに加えて、人通りが多いということに尽きます。
ちなみに、一応「関係者立入禁止」とは書いてありますが、近所の人なども散歩のために入るのは日常的な光景のよう。東大の中を抜けたほうが目的地が近いからと、自転車で走り抜けていく人も当たり前に見かけます。
赤門の前は、人通りは多いものの東大生かどうかを見分けるのは難しいかも知れません。
なお、広大な本郷キャンパスにはほかにもいくつもの門があります。
次々と整備される門にまつわる逸話
古くからあるのは、「池之端門」や「龍岡門」。
池之端門は不忍通りへと抜けるもの。龍岡門は、同大医学部付属病院の最寄りにあり、車で入庫する際に使われることが多い門。
JR御茶ノ水駅から出ている東大構内行きの都営バスも、この門から中へと入っていきます。
このほか21世紀に入ってからは、春日通りにつながる「春日門」、西片方面の「西片門」。大江戸線の出入り口からのルートを考えた「懐徳門」など、門の整備が次々と進んでいます。

そんなたくさんの門を持つ本郷キャンパスですが、かつては驚きのルールがあったことをご存じでしょうか。「学生は、正門以外からは出入りしてはいけない」というものです。
そんなびっくりルールを持っていたのが、現在の東京大学教養学部の前身となった旧制第一高等学校の生徒たちです。
1886(明治19)年の設置から1935(昭和10)年まで、現在の東大農学部キャンパスの位置にあった旧制第一高等学校。卒業したら、ほぼ全員が東京帝国大学に入学する超エリート学校です。
同校生徒という設定の川端康成『伊豆の踊子』の主人公なども、市井の人々の彼を見る目が違うことが文章から伝わってきます。
そんな旧制高校には今も伝わる独特の風習がありました。
独自ルールににじむエリートの気風
わざとボロボロの学生服を着て、見た目に惑わされずに真理を探究しているのだとアピールするバンカラの気風。基本的に全生徒が入っている寮を生徒だけで運営する自治寮のシステムなどなど。
今でも漫画や文学などの題材としてしばしば描かれることのある旧制高校ですが、当時は批判的な指摘がされることもありました。
『夫婦善哉』などで知られる作家・織田作之助は、旧制第三高等学校を中退していますが、彼の作品には旧制高校の気風に懐疑的な視線を向けるものが見られます。

また、1966(昭和41)年以来、現在も版を重ねている講談社現代新書のロングセラー『大学でいかに学ぶか』の著者・増田四郎は、一橋大学名誉教授になった西洋史の権威ですが、彼も同書の中で旧制高校の気風をかなり批判的に書いています。
今は理想化されている旧制高校ですが、実態としては「一体なぜ?」と思うような独特の風習がいくつもありました。そのひとつが前述した、出入りには正門以外は使わない「正門主義」というもの。
生徒は堂々と正門から出入りする、たとえ遠回りでも塀を乗り越えたり正門以外から出入りしたりしてはならない――というルール。これは「曲がったことはやらない」「自分たちはそのくらい志の高い存在なのだ」といった思考から生まれたものだといいます。
なんて誇り高き精神なのだろう……と感銘を受ける側面がある一方、ちょっと見方を変えればちょっと奇妙な行動にも映るかもしれません。
富裕層の子弟も数多く在学していた
当時の旧制高校には、秀才と呼ばれ得る優秀な人材ももちろんいましたが、学費を払う経済的余裕がある、子どもの頃から勉強できる環境で育った富裕層の子弟も数多く通っていました。
先に触れた織田作之助は、大阪の下町の生まれ。また増田四郎は、経済的な事情によって中学卒業後は東京商科大学付属商業教員養成所(授業料が不要)を経て、東京商科大学(現在の一橋大学)に入学しています。
旧制高校以外で学んだ知識人たちには、“在野の反骨精神”によって培われた冷静な批判的視線が身に付いていたのかもしれません。
門をひとつ取っても、かつての歴史や当時の思想がふと垣間見えてくるものです。
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