ホンダ“名物バイク”の始祖!? 大戦中の「英折り畳みバイク」軽くするため諦めたものとは? 大阪で実車見てきました!
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第二次大戦中、空挺部隊が戦場に降下した後の移動手段として各国で研究された小型バイク。イギリス軍によって実用化された折り畳み式のバイクは戦後に民間でも使われ、さらに日本ではあの小型バイク開発のヒントにもなりました。
日本にもあった!大戦中のイギリス製折り畳みバイク
先日、筆者(吉川和篤:軍事ライター/イラストレーター)は大阪府松原市にある私設の軍事博物館「ミリタリーアンティークス大阪」(略称MAO)を訪問しました。そこは日本で唯一、公道を走れるイギリス製の軍用装甲車「フェレット」があることで知られており、その取材で筆者は伺ったのですが、それと共に奇妙な形状の小型バイクも見せてもらいました。
ハンドルを起こしてシートを上げた、走行状態のウェルバイク。ミリタリーアンティークス大阪(MAO)で保管され、レストア済みで快調に走行可能であった(吉川和篤撮影)。
このバイクは一言で表すなら折り畳みバイクなのですが、そのコンパクトさに驚きます。ハンドルを後方に折り畳んでサドルを下げれば長さ130cm、幅30cmぐらいにまで小さくなるのです。なお、車体の横にはそれを収納する円筒形の鉄製コンテナも一緒に展示されていました。
そう、これは第二次世界大戦中にイギリス空挺部隊が航空機よりパラシュートを付けて投下して、前線にいる兵士が移動手段として使えるように開発された軍用バイクだったのです。
第二次大戦は、戦場にパラシュートで降下して迅速に展開、敵地を制圧する空挺部隊が初めて本格投入された戦いでもあります。各国で部隊の新設や装備の開発が進みましたが、そうしたなか、降下後に偵察や伝令の移動手段として使えるよう小型バイクの研究も始まります。
その頃、小火器を入れてパラシュートで投下する武器コンテナが開発され、これに入れて前戦へと送れるよう、折り畳み式のバイクがこれまたアメリカやイタリア、イギリスなどで研究・開発されました。筆者がMAOで目にしたのは、こうした空挺用バイクのイギリス版だったのです。
この小型バイクは、ロンドンから車で1時間ほどの場所、ハートフォードシャー州のウェルウィン村近くにあった、軍事統合研究機関で1942年頃に開発されました。ここは特殊作戦執行部(SOE)向けに武器の開発や研究を行う「ステーションIX」と呼ばれた施設で、折り畳み式空挺バイクのアイデアは、ここの司令官であったジョン・ドルフィン中佐の発案と言われています。
ちなみに、このバイクを投下するためのコンテナは長さ170cm、直径約40cmであったため、このサイズに収まるよう前出の数値に設計されました。
小型軽量で空挺部隊や特殊部隊にも採用
設計者はSOEのハリー・レスター技師。彼はSOE内でオートバイに精通していたことから担当者となり、試作までこぎつけます。こうして生まれた折り畳み式バイクは乾燥重量32kgで、収納時にはハンドルを後方に折り畳みサドルを下げて空中投下コンテナに収納できるよう、さまざまな技巧が施されていました。なお、搭載するエンジンは単気筒2ストローク空冷ガソリン(98cc)で、最高速度は48km/hを発揮しました。
イギリス軍の空挺兵が改修した空中投下コンテナから、ウェルバイク取り出して使用するまでの記録映像。11秒以内に組み立てて走り出す事ができた(吉川和篤所蔵)。
しかし、コンテナの容量制限から燃料タンクは容量3.7リットルと小さく、かつ給油口がキャブレターよりも低い位置にあったため、走行前にタンクに内蔵された手動ポンプで加圧する必要がありました。
また軽量化のためにサスペンションやライトは備わっておらず、ブレーキも後輪だけでしたが、それでも行動距離は140kmありました。その後、試作車はイギリス陸軍の特殊作戦学校や空挺部隊で実用試験が行われ、エンジンの出力調整などを経て実用性が認められます。
なお、いつのまにか「ウェルバイク(Welbike)」という名で呼ばれるようになりますが、これはウェルウィン村にあるステーションIXで開発された秘密兵器は「ウェル」で始まる名前を付ける慣習があったからだと言われています。
こうして完成したウェルバイクは、エクセルシオール・モーター社で1942年9月より生産が始まり、3741台が生産されました。量産車には3種類のバージョンがあり、最初の1000台は「マークI」と呼ばれ、エンジンの出力調整が行われた初期試作車と同じ仕様です。次の1400台は「マークIIシリーズ1」と呼ばれ、リアタイヤのマッドガード(泥除け)などが追加されました。最後の1341台は「マークIIシリーズ2」と呼ばれ、加圧ポンプを取り外す必要のない改良されたフィラーキャップを備えた燃料タンクを装備していました。
空中投下コンテナから取り出して11秒以内に組み立てて走り出せるウェルバイクは、イギリス陸軍の空挺部隊やコマンド部隊、同国海兵隊のコマンド部隊に配備されます。そして1944年のアンツィオやノルマンディー上陸作戦などで活躍しました。また広い滑走路を持つ空軍基地でも密かにこれを隠匿して、整備員などの移動用に活用したというハナシも伝わっています。
戦場の足から戦後は民間バイクにも進化
しかし、メリットばかりに思えたウェルバイクにも問題点もありました。それは空挺兵たちがパラシュート降下後に手際よくバイクの入った空中投下コンテナを見つけられないことがしばしば起こり、徒歩で任務を遂行しなければならない場合が間々あったからです。また、パワー不足気味のエンジンや小径タイヤのため、不整地の走行性能に限界があったとの報告も残っています。
実物の空中投下コンテナに収納された状態のウェルバイク。容積に対して無駄なくコンパクトに折り畳まれた状態が良くわかる(吉川和篤撮影)。
さらに大戦後期になると大規模な空挺作戦には大型グライダーが投入されるようになったことで、より大馬力でかつ大型の軍用バイクや、ジープすら空挺部隊向けに空輸できるようになりました。こうしたことを受け、ウェルバイクの出番は次第に限られていった結果、1943年6月以降の契約分はキャンセルされ、生産は終了しています。
キャンセルされず軍に納入された後期生産分についても、あまり戦場で使われなかったようで、そうこうしているうちに大戦は終結。余剰となったウェルバイクは民間に放出されますが、その多くはアメリカに輸出されました。ただし前輪ブレーキがないため公道では原則使用できず、そのほとんどは農場やキャンプ場などでの構内移動用、またはレジャー用のアウトドアバイクとして用いられました。
一方、ウェルバイクの考案者であるジョン・ドルフィン中佐は戦後、そのアイデアを発展させた小型バイクを開発するために軍を離れ、コーギー・モーターサイクル社を設立します。彼は、ウェルバイクの改良型である折り畳み式のコーギー・スクーターを開発。同車は1947年から1954年にかけて北米やイギリスなどで販売されて、約2万7050台が製造されています。
ちなみに、このハンドル収納式折り畳みバイクの構造は、1967年に登場したホンダ「モンキー」や、1981年に登場したホンダ「モトコンポ」にも影響を与えたと言われます。こうして見ると、第二次大戦中にイギリスの地方で開発された軍用バイクの開発アイデアが、流れ流れて戦後に極東のバイクメーカーへと伝わったことは感慨深いと言えましょうか。
ウェルバイクが日本で唯一保管されている「ミリタリーアンティークス大阪」では、6か月ごとに展示内容を入れ替えて貴重な英軍装備の公開日を設けています。第二次大戦中に開発された貴重なイギリス生まれの空挺バイクを見たければ、同館のホームページやSNSでの告知をチェックしてみてください。
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