オートバイと戦車が合体!? 奇妙な乗りもの「履帯バイク」とは 宮城県でコンビニ行くのに使われてた!
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第2次大戦中には、前が車輪で後ろが履帯という形状のハーフトラックが各国で作られました。その最小形といえるのが、ドイツが開発した「ケッテンクラート」。日本にある希少な現存車を見てきました。
東北地方で対面した「異形の」ドイツ軍用車
先日、筆者(吉川和篤:軍事ライター/イラストレーター)は、宮城県に在住の軍用車コレクターを訪ね、いくつもの貴重なコレクションを見せてもらいました。その中に、第2次世界大戦のドイツ軍で使用された奇妙なハーフトラック(半装軌車両)がありました。
宮城県在住の軍用車コレクターの方が所有するケッテンクラート(Sd.Kfz.2)。オリジナルの最後期型で、フロントフォークの前照灯は中期型で廃止されたために、「ノテックライト」と呼ばれる灯火管制灯だけになっている(吉川和篤撮影)。
これは、前輪こそバイクのようなハンドルに繋がった1輪車ですが、その後ろは豆戦車のような履帯(いわゆるキャタピラ)で駆動するボディで、小型ながらガッチリと中が詰まった印象です。この奇妙な乗りもの、正式名はSd.Kfz.2(特殊自動車2型)という軍用車両で、むしろ「ケッテンクラート」の愛称の方がよく知られているでしょう。ちなみに、「ケッテン」はドイツ語で履帯を、「クラート」はバイクを意味します。
このような前方がタイヤで、後方が履帯という、両方の足回りを持つ車両のことを一般的に「ハーフトラック」と呼びます。これは、足回りの半分(ハーフ)が履帯(トラック)だからで、そこから日本語では「半装軌車」と表記されます。
ハーフトラックの歴史は意外に古く、第1次大戦が勃発する前の1911年にフランス人技術者のアドルフ・ケグレスにより、ロシア皇帝の御用車用に発明されました。この形式は後部が履帯でも戦車のように左右レバーで操縦するのではなく、自動車のようなハンドル操作で行うため、運転しやすい構造なのが特徴でした。
また駆動方式が履帯のため悪路走破性能も悪くないということで、やがて第2次大戦前から戦後にかけて各国で軍用車両として採用され、さまざまなモデルが作られました。
中でも多かったのが、大砲の牽引用や、ボディを装甲化した兵員輸送用でした。特に、ドイツ軍では8.8cm高射砲を牽引した8tハーフトラック(Sd.Kfz.7)や中型装甲兵員輸送車(Sd.Kfz.251)が、アメリカ軍では兵員輸送用のM3ハーフトラックシリーズなどが知られています。ちなみに、M3型は対空砲搭載タイプも作られ、戦後は日本にも供与され、陸上自衛隊で長年にわたって運用されていました。
なお大戦後期には、旧日本陸軍でも似た形状の一式半装軌装甲兵車(ホハ)が開発・生産されています。
筆者が見学したケッテンクラートは、ハーフトラックと比べてもっと小型で操縦席は1人乗り、長さは軽乗用車にも満たない3m程度でした。なぜ、こんなにコンパクトなのに複雑な駆動方式にしたのか。そこには、同車の使用目的が深く関係していました。
民間用から軍用になった「履帯バイク」
前部がバイク形状の半装軌車両は、もともと営林署や民間の林業関係者などが、資材や伐採した木材を運ぶトレーラー用途として使えるよう設計されたのが端緒です。開発は第2次大戦前の1938年に、自動車メーカーのNSU社で始まりました。
1943年から翌年に掛けての冬期ロシア戦線で撮影されたケッテンクラート前期型。フェンダー左右には後期型より廃止された涙滴形の車幅灯が見える。今回見学した実車は最後期型だが、ウィンカーとして使用するために装着している(吉川和篤所蔵)。
木々が密集して狭く急勾配の多い森林地帯では、従来の馬車や自動車では作業に向いていなかったので、小型でもグリップ力を発揮する履帯装備のハーフトラック方式が有利だと考えられたのです。そして小型軽量化と小回りを重視して、前部がバイクのような1輪形式が選ばれました。
試作車(Kfz.620)はNSU社のハインリッヒ・エルンスト・クニープカンプ技師を中心にしたチームで製作され、ドイツ軍がポーランドに侵攻して大戦が勃発する直前の1939年6月に特許が付与されています。
当初、ドイツ軍はこの小型ハーフトラックに興味を示しませんでしたが、戦争の推移と共に輸送や空挺作戦の補助車両に使えるのではないかと目を付け、1940年から陸軍兵器局の元で試験や改良が行われました。そして原型のKfz.620型の構造やエンジンが強化されて、大きく外見が変わった新型が誕生、「Sd.Kfz.2」の型式名で1941年6月に制式採用されたのです。
当初は「ケッテンクラフトラート」(履帯オートバイ)と呼ばれ、後に「ケッテンクラート」(履帯バイク)の簡略名に変わった同車は、サイズの割にはやや重く、総重量は1250kgありました。しかしオペル社の2ドア/4ドアセダン車「オリンピア」用の水冷直列4気筒OHVガソリンエンジン(36馬力/1488cc)を搭載したことで、路上では最高時速70km/hを出せました。
なお、履帯を巻いた後部の転輪は、後の「パンター」戦車や「ティーガー」戦車を思わせる千鳥足の配置で、履体も路上走行を考慮してゴムパッドを取り付けるなど凝った造りでした。
バスタブにも似た車体下にはトーションバー式サスペンションが配置され、内部に搭載されたエンジンとクラッチ、変速機やギアボックス、操向用ブレーキはユニットで一体化していました。そのためユニットごと取り外すことが可能で、整備しやすいという特徴もありました。ちなみに、1942年からは物資の運搬が可能な専用トレーラーの配備も始まったことで、輸送能力はさらに向上しています。
戦後に消えたハーフトラック車両
ドイツ軍に配備されたケッテンクラートは、空挺部隊や山岳部隊で対戦車砲や軽山砲の牽引、物資の輸送などに用いられ、ロシア戦線の雪解け時期にはバイクやサイドカーが走り辛い深い泥濘でも、問題なく走破しています。さらに飛行場では滑走路への軍用機の移動や爆弾や弾薬の運搬に重宝されました。
オリジナルのケッテンクラートは、日本国内でも複数台の存在が確認されている。写真の車体は大阪府門真市の海洋堂本社倉庫に保管される、走行可能な後期型である(吉川和篤撮影)。
こうして大戦の全期間にわたって多用されたケッテンクラートは、ドイツ国内のNSU社やストーバー社で約8800両が生産されました。戦後もアメリカの許可を得たうえで、再建されたNSU社において民間車として約550両が造られており、疲弊したドイツの貴重な外貨獲得手段として海外にも輸出されています。
なお、その中には前輪を廃止してレバー操作の全装軌式に変更したタイプも含まれていました。一方、国内に目を向けると、農業や林業用の小型トラクターとして、戦後の復興に従事しています。このあたりのハナシは、戦後の日本で民間向けに改造された「更生戦車」とも似ているでしょうか。
しかしケッテンクラートをはじめとした半装軌車両は、製造や整備にかかる費用や手間が、通常の装輪車や装軌車と比べ多くかかかることから、戦後しばらく経つと次第に姿を消すようになります。結果、2025年現在、各国で運用されている兵員輸送装甲車は装輪式か装軌式ばかりで、ハーフトラック式は新たに作られていません。
冒頭に記した宮城のケッテンクラートは、第2次大戦中の1944年以降に生産されたオリジナルの最後期型です。以前は静岡県御殿場市のカマド自動車でレストアおよび保管されていた個体でした。
その後、現オーナーが購入、「ワンダーフェスティバル」などのイベントに出動しています。特殊小型車の登録もされて緑ナンバーも付いており、時々整備を兼ねてエンジンを回して近所のコンビニまで走っているそうです。この80年以上前に作られた“老兵”が、これからも元気でコンビニ通いを続けられることを願って止みません。
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