「ひとりっ子空母」なぜ多い? 姉妹艦なき孤高の旧軍空母12隻 それぞれの事情
- 乗りものニュース |

軍艦は、基本的に設計図を共用する「同型艦」を何隻か作ります。しかし、諸事情で「同型艦なし」の艦型が生まれることも。旧日本海軍の航空母艦(空母)は、他の艦種より「同型艦なしが多かった、その理由を探ります。
12隻もある同型艦なし空母
一般に軍艦は、同型艦といわれる、同じ構造・性能を持つ艦を複数建造します。理由としては、艦隊に所属する艦艇の性能がバラバラでは、作戦行動が行いにくく、補給も非効率になるからです。実際、ワシントン海軍軍縮条約で、旧日本海軍は長門型戦艦の2番艦「陸奥」を保有するために、アメリカとイギリスに2隻ずつ、406mm砲搭載戦艦の保有を認めたほどです。
とはいえ、諸事情で同型艦なしの艦艇が生まれることもあります。なかでも旧日本海軍は様々な事情で空母の「同型艦なし」が多いという傾向がありました。その理由を見てみましょう。
旧日本海軍の空母「鳳翔」(画像:アメリカ海軍)。
旧日本海軍で同型艦なしのオンリーワン空母というと、「鳳翔」「龍驤」「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「大鳳」「龍鳳」「海鷹」「神鷹」「信濃」「伊吹」が該当します。
ちなみに、戦艦では同型艦なしの艦型はひとつもありません。巡洋艦を見てみても「夕張」「大淀」の2艦だけです。
一方で空母は前出したように12隻もあります。これは、空母という艦種に求められることが定まっていなかった時期に、試行錯誤した艦型が多いこと。また、空母に求められるものが明確になった後に、数を確保しようとした結果、同型艦を用意できなかった艦型が多くなったからだといえるでしょう。
大人の事情で同型艦が造られなかったフネたち
「鳳翔」は建造時から空母として計画された、世界最初の空母です。実験艦的な意味合いがあり、同型艦の建造予定はありませんでした。太平洋戦争中では実戦にほとんど出ることはなく、練習用空母として使われていました。
「龍驤」は水上機母艦として計画されましたが、ワシントン海軍軍縮条約の制限外である「1万トン以下」の空母にした方が有益ということで、計画変更されました。しかし、ロンドン海軍軍縮条約で制限内となったために、同型艦は建造されませんでした。
旧日本海軍の空母「赤城」(画像:アメリカ海軍)。
「赤城」はワシントン海軍軍縮条約で破棄された巡洋戦艦を改造した大型空母です。当初、同型艦の「天城」も空母化される予定でしたが、関東大震災で同艦が損傷し、代替で加賀型戦艦「加賀」を空母に改装したことで、同型艦が生まれなくなり、結果、互いに「ぼっち」となっています。
「蒼龍」と「飛龍」は、もともとは同型艦として建造される予定でしたが、軍縮条約の破棄で排水量を抑える必要がなくなったために、2番艦「飛龍」が別設計となりました。また「飛龍」は「蒼龍」と異なり、艦橋の位置を左舷中央に改め、なおかつ内部容積を拡充するためやや大きめにしています。また飛行甲板の幅を1m広くして、航空機の運用能力を改善したため、艦影は別モノといえるほどに変わりました。
「大鳳」は、旧日本海軍で初めて飛行甲板に装甲が施された空母です。「大鳳」に同型艦はありませんが、水中防御や高角砲の増加などが行われた準同型のG15(改大鳳型)が5隻計画されました。太平洋戦争が起こらなければ、大鳳型6隻として運用されたと考えられます。
他艦種からの改造艦が豊富
また空母は、戦艦や巡洋艦などと異なり、船体が大きな支援艦艇や客船などを改造しても戦力化できました。加えて改装空母は、元になった船の形状や性能にも影響されるため、同型艦なしが多くなる傾向があります。
「龍鳳」は、旧日本海軍の区分では“瑞鳳型”として分類されていますが、同型艦の「瑞鳳」「祥鳳」とは、排水量や速力、飛行甲板長などが異なります。これは「龍鳳」が潜水母艦「大鯨」をベースにしたのに対して、「瑞鳳」「祥鳳」は高速給油艦の剣埼型から改装されたからです。「大鯨」は電気溶接やディーゼルエンジンの採用など、新機軸を盛り込んだ実験艦でしたが、不具合が多く、「龍鳳」への改装では陽炎型駆逐艦の蒸気タービン機関に換装されています。
旧日本海軍の空母「海鷹」(画像:アメリカ海軍)。
「海鷹」は、大鷹型航空母艦の1艦として分類されています。しかし、ベースとなった船が「大鷹」「雲鷹」「沖鷹」に用いられた新田丸級貨客船よりも一回り小さい、あるぜんちな丸級貨客船であったことから、性能や大きさが異なる艦となりました。たとえば、「海鷹」は「大鷹」より飛行甲板が短いものの、搭載機数ではほぼ同数で、速力では2ノット(時速3.7キロ)上回るなど、優れたところも見られました。
なお、「あるぜんちな丸」には、姉妹船の「ぶらじる丸」が存在していました。敵潜水艦により「ぶらじる丸」が撃沈されなければ、「海鷹」には同型艦が存在したと思われます。
「神鷹」も、大鷹型航空母艦に分類されています。しかし、原型となったのは「大鷹」などの新田丸型貨客船よりも一回り大きい、ドイツ客船「シャルンホルスト」のため、飛行甲板長や搭載機数で「大鷹」を上回っていました。
ちなみに、シャルンホルスト級客船はヒトラー政権の肝いりで造られたため、「シャルンホルスト」の進水式にはヒトラーが参列しています。客船時代、シャルンホルスト級に対抗したのが「大鷹」「雲鷹」「沖鷹」になった新田丸級だったことから、両者には因縁があるといえるでしょう。なお、シャルンホルスト級客船も日本への寄港を考慮し、輸出用の「醤油タンク」が設けられていました。
大和型戦艦3番艦「信濃」&重雷装重巡だったかもしれない「伊吹」
「信濃」は、1944(昭和19)年の就役当時、世界最大であった空母です。この艦は大和型戦艦の3番艦として計画・起工されたものの、ミッドウェー海戦の敗戦を受けて空母に改装され、就役しました。
特徴は巨大な船体に裏打ちされた広大な飛行甲板とそこに施された装甲です。飛行甲板の幅は日本空母で最大となる40mあり、この広さを活用するために運用を左右で分け、一方には艦載機を駐機させつつ、もう片方で艦載機を発着させるという構想まで出たほどでした。また、そのような広大な飛行甲板は75mm厚の装甲が張られており、その下の中甲板にも100~190mm厚の装甲が施されたため、部位によっては大和型戦艦以上の水平防御を持つほどでした。
搭載機数は常用42機、補用5機と大型空母としては少なめ。とはいえ、機体サイズが小型の零式艦上戦闘機(零戦)や艦上爆撃機「彗星」なら、艦内収容しない露天係止を含め86機まで搭載できたようです。ただ、「信濃」は一部未完成だったこともあり、敵であるアメリカ海軍の潜水艦に撃沈され、一度も実戦に参加せずに終わっています。
旧日本海軍の空母「伊吹」(画像:アメリカ海軍)。
一方、「伊吹」は最上型軽巡洋艦(後に重巡洋艦に変更)の改良型として計画されました。ベースの最上型よりも、魚雷発射管が強化される予定だったとのことで、最上型なら計12門、片舷6射線の魚雷発射に対して、「伊吹」は25門、片舷15射線を有していたそうです。これは「重雷装艦」として魚雷攻撃に特化した改装が施された、「大井」「北上」両軽巡洋艦の片舷20射線に近い数字といえるでしょう。
主砲塔まで搭載し、重巡洋艦としてほぼ完成していた「伊吹」でしたが、1943(昭和18)年8月に空母改装が決定します。ただ、大戦後期に空母改装が始まったため、「伊吹」の空母化は戦争に間に合いませんでした。
なお、空母「伊吹」は、搭載機数27機、29ノットと改装空母としては標準的なものでした。
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