「史上最悪のスカイライン」の呼び名は本当か? 多難だった「4代目GT-R」の評判をガタ落ちさせた“事件”の真相
- 乗りものニュース |

1995年に発売された日産のBCNR33型「スカイラインGT-R」は、大きく重くなったボディで、偉大な先代「R32型」を超えなければならず、結果「史上最悪のスカイライン」とまで呼ばれました。ただ、その評価は正しいのでしょうか。
R33型GT-Rの多難は東京モーターショーから始まった
1995年に発売されたBCNR33型「スカイラインGT-R」は、先代の「BNR32型」からボディが拡大され、車重も約100kg増加したことから、当時多くのファンに“失敗作”の烙印を押されました。しかし、果たしてその評価は正当なものだったのでしょうか。
9代目「スカイライン」をベースに、BNR32型の後継として開発されたBCNR33型「スカイラインGT-R」(画像:日産)
今なおGT-Rファンの間で評価が分かれる「BCNR33型」ですが、そのケチのつき始めともいえるのが、1993年10月の『第30回東京モーターショー』に出品された、プロトタイプモデルでしょう。
このモーターショーの2か月前、GT-Rのベースとなる「スカイライン」は9代目「R33型」へとフルモデルチェンジしていました。R33型はホイールベースを含めたボディのサイズを拡大し、全モデルが3ナンバー車に。先代「R32型」で指摘された居住性の悪さを改善した半面、走りを優先して小さくなったR32型の美点が失われた、とも批判されていました。
当時、浪人生だった筆者(山崎 龍:乗り物系ライター)は、うすらデカくなったスカイラインを見て、新型となるR33型GT-Rに対して一抹の不安を覚えていました。しかし、国内レースでは敵なし、海外でも暴れ回り“最強”の名をほしいままにした「BNR32型」GT-Rのフルモデルチェンジに、大きな期待を寄せていたのも事実。モーターショーの一般公開初日は「GT-R見たさ」に予備校をサボり、朝から入場列に並んで待機。開場とともに日産ブースへとダッシュしました。
ところが、いざ「GT-Rプロトタイプ」の実物を目にした筆者の表情は、みるみるうちに暗く、失望したものへと変わりました。日産ブースのひな壇に展示されたブルーのGT-Rプロトは、妙に腰高で、取ってつけたようなリアスポイラーも不格好きわまりなく、高性能車が放つオーラのようなものを感じなかったのです。
その感想は筆者の周囲にいたファンも同じだったらしく、そこかしこから「カッコわるぅ~」とか「GT-Rも終わったな……」といった囁き声が聞こえてきました。なかには、「GT-Rプロトタイプ」を見るや否や現行BNR32型の新車購入を決断し、会場を出たその足で地元のディーラーへ駆け込んだ人もいたとか。これがBCNR33型スカイラインGT-Rの、前途多難な船出でした。
「マイナス21秒」の文句をひっさげ発売! “ある事件”が問題に…
さすがの日産もGT-Rプロトタイプの評判を重く受け止めたようで、1995年1月の「第13回東京オートサロン」では、プロトタイプからエクステリアを一新した市販型が公開されました。BCNR33型はようやく「スカイラインGT-R」にふさわしいルックスを手に入れました。
BCNR33型「スカイラインGT-R」のリアビュー。「スカイラインGT-R」としては通算4代目に当たるモデル
また、新型GT-Rは性能面でも先代型を超えるべく入念な開発が行われ、ドイツの「ニュルブルクリンク」サーキット北コースでは、BNR32型が記録した8分20秒のラップタイムより21秒も速い7分59秒を記録。テレビCMでは「マイナス21秒ロマン」のキャッチコピーでパフォーマンスの高さを宣伝しました。
しかし、BCNR33型GT-Rはデビュー直後“ある事件”を起こしてしまいます。それが現在もカーマニアの間で語り草となっている、通称「ベスモ事件」です。騒動は、ビデオマガジン「ベストモータリング」の企画の一環で行われた、国産スポーツカー8台による筑波サーキットでの模擬レースで起こりました。
このレースには、日産が広報車として用意した2台のGT-Rのほか、レギュラーキャスターでレーシングドライバーの土屋圭市氏が自ら購入したGT-R「Vスペック」がエントリー。しかしレース本番、土屋氏の愛車は同じVスペックを含む2台の広報車に比べて明らかに遅いタイムでしか周回できず、土屋氏は途中でレースを放棄してしまったのです。
日産はサーキットアタックへの対策として、広報車にはオイルクーラーとニスモ製のブレーキパッド、ブレーキ導風板を追加で装着したと事前に説明していました。ところがレース後にベストモータリングが広報車を確認したところ、実際にはこのほか、車高がリア5mm、フロントで15mm下げられていたほか、フロントキャンバー角の変更や、ブーストアップなどのチューニングが施されていたことが判明。日産がマスコミ用に貸し出す試乗車を密かに改造する「広報チューン」を行っていたことが明らかになりました。
今でこそ聞かなくなりましたが、広報チューンは1990年代ごろまで業界の“暗黙の了解”だった部分もあり、日産に限らず、多くのメーカーが恒常的に行っていたといわれています。しかし、この時のチューニングは極めて目に余る内容でもあり、土屋氏は「広報チューンはユーザーに対する背信行為だ」と強く批判しました。
この一件により、BCNR33型GT-Rはニュルブルクリンクで記録した「マイナス21秒」のタイムにさえ疑惑の目を向けられることとなり、発売から間もない時点で大きく評判を落としてしまったのでした。
著名な評論家が明かしたBCNR33の開発秘話
当時、自動車専門誌などで舌鋒鋭く、大きく重くなったBCNR33を批判していたのが自動車評論家の福野礼一郎氏でした。
モデルライフ途中で追加されたBCNR33改型「スカイラインGT-Rオーテックバージョン 40th ANNIVERSARY」。4ドアの「スカイラインGT-R」の登場は、1969年に登場したPGC10以来のことだった
彼いわく「スカイラインGT-R」が新型になって性能向上を果たしたのはメカニズム面であって、スポーツカーとしてのパッケージングはむしろ後退しているとのこと。BCNR33のメカニズムを先代のBNR32に搭載すれば、走行性能は向上し、さらに素晴らしいスポーツカーになっただろうと喝破していました。
また、日産デザイン関係者からの伝聞として、「スカイライン」の開発初期では2ドアクーペと4ドアセダンでホイールベースを変えようとしていたとか。しかし、開発途中で上層部の横槍が入り、コストダウンのために全車「ローレル」と同じ長いホイールベースとされたことを明かしています。
これについては後年、筆者は別の取材でBCNR33の開発主査を務めた渡邉衡三氏に直接尋ねたことがあります。その際、彼は笑顔で福野氏の説を否定していたものの、目だけはまったく笑っていなかったことを今も印象深く覚えています。
これら出来事に加えて、BCNR33型は先代のBNR32型とは異なり、モータースポーツで活躍する機会がほとんどなかったことも影響し、いつしか「スカイライン」ファンから失敗作の烙印を押されるようになってしまったといえます。しかし、本当に失敗作でしょうか。
筆者はのちに、某チューニングショップが手塩にかけて仕上げたBCNR33型をじっくりと試乗する機会に恵まれ、わかったことがあります。確かにR33型GT-Rは、峠やミニサーキットでは大きく重い車体を振り回すことができず、その実力を真に発揮することはできません。
しかし、富士スピードウェイのようなハイスピードコースや最高速アタックでは、逆に大柄で重量のあるボディが武器となり、BNR32以上の性能を発揮します。すなわち、戦うステージが違うだけで、BCNR33はやはり“GT-R”にふさわしいハイパフォーマンスカーだったのです。
近年、BCNR33型は再評価が進み、BNR32型や後継のBNR34型とともに、中古車として高値で取り引きされるようになっています。BCNR33型の持つ真価は、生産終了から長い時を経て、ようやくファンの間にも理解されつつあると言えるでしょう。
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