80年前には「日本最後の空戦」も “初モノ尽くし”だった横須賀の日産工場 経営不振の影響で歴史終わるか?
- 乗りものニュース |

2025年5月13日、経営悪化により日産は、子会社での日産車体の湘南工場とともに追浜工場も閉鎖対象として検討しているそうです。神奈川県は日産の創業の地。追浜工場も前身は歴史ある飛行場でした。
日産が追浜工場の閉鎖を検討したワケ
2025年5月13日、日産自動車は経営再建計画「Re:Nissan」を発表し、そのなかで2027年までに世界17か所の完成車工場を10か所まで減らすことを明らかにしました。
旧日本海軍の戦闘機「紫電改」。日産追浜工場の前身である横須賀海軍航空隊にも配備されていた(画像:国立アメリカ空軍博物館)。
閉鎖・休止を検討しているのは、海外工場だけに限りません。国内にある完成車工場も対象で、e-POWERを搭載した日産「ノート」や「ノートオーラ」を生産する追浜工場(横須賀市)や、子会社の日産車体の生産施設で商用車を担っている湘南工場(平塚市)候補に挙がっています。
この2工場は、ともに神奈川県内にあり、従業員は合わせて5000人以上に達します。日産のサプライチェーン(供給網)のうち、神奈川県内の企業は2030社、従業員は15万3000人にもおよぶことから、地元経済への深刻な影響が懸念されています。
とはいえ、両工場の稼働率は5割未満と、8割前後とされる損益分岐点を大幅に下回っており、過剰な設備と人員が日産の収益を圧迫していることは事実です。神奈川県の黒岩祐治知事は日産に閉鎖の取りやめを要求し、日産のイヴァン・エスピノーサ社長は「決まっていない」と回答したそうですが、ほかに有効な策もないことからリストラ対象とされることはどうやら避けられない模様です。
このように現在、閉鎖が検討されている追浜と湘南の両工場ですが、従業員の数など規模が大きいのは前者です。追浜工場は、京急本線追浜駅の近くにあり、日本で初めての本格的自動車生産工場として1961年に操業を開始。その後も「混流ライン」と呼ばれる複数の車種を同時に生産する技術を日本で初めて取り入れたほか、1970年には自動車業界初の溶接ロボットを導入しています。
近年においても、「モジュール生産」などの最新技術を次代に合わせていち早く取り入れるなど、半世紀以上にわたって日産の国内主力工場として活動を続けてきました。
数々の日産の名車を生産し続けてきた追浜工場
日産の追浜工場は、敷地面積が東京ドーム30個分以上あり、そのなかにプレス加工・溶接・塗装・組み立て・最終検査・出荷までの全工程を賄う生産施設のほか、先端技術研究を行う総合研究所や社員教育施設、性能試験を実施するための1周約4kmのテストコース(追浜試験場)が設けられています。敷地の一角には、最大2万台の完成車を保管できるスペースが用意されており、3隻の車両運搬船(RORO船)が停泊可能な専用埠頭まであります。
神奈川県横須賀市にある日産自動車の追浜工場(画像:PIXTA)。
中・大型車やスポーツカーの生産は現在、栃木工場(栃木県上三川町)、SUVやミニバンは九州工場(福岡県苅田町)に移管・集約されているため、追浜工場ではコンパクトカーの生産が中心となっていますが、かつては「ブルーバード」や「バイオレット」「プリメーラ」「マキシマ」「ティーダ」「ジューク」などといった主力車種の生産も担っていました。
このように、日産の往年の名車を多数生み出してきた追浜工場ですが、ここにはかつて飛行場がありました。さかのぼること1916年に創設された旧日本海軍の横須賀海軍航空隊の飛行場と基地施設です。
「横須賀空」の通称で知られた同隊は、パイロットなどの航空隊要員の教育や練成、新型機の実用実験、各機種の戦技研究を担当するなど、旧海軍の航空行政の拠点であるとともに、有事の際は防空の任に就くことになっており、戦況が悪化した太平洋戦争末期には首都および海軍の要港である横須賀を守るため実戦配備につきました。
ちなみに、日本がポツダム宣言を受諾し、米英などの連合国に無条件降伏した後の1945年8月18日に発生した「第二次世界大戦最後の空戦」では、日本本土偵察のために飛来したB-32「ドミネーター」爆撃機を迎撃しようと、ここから「紫電改」の小町定飛行兵曹長や「零戦」の坂井三郎少尉などが出撃しています。
追浜工場の意外な歴史と取り巻く状況の変化
その後、アメリカ軍が進駐してくると飛行場としての機能は停止します。しかし、その広大さを活かして、戦場で損傷したジープやトラックが運びこまれ、スクラップヤードに転用されるようになります。そして、1948年には日本政府から指定を受けた富士自動車(のちの小松ゼノア。SUBARUの前身である富士重工とは別)が占領軍自動車の修理や解体、再生事業を請け負いました。
追浜工場で生産される日産「ノートオーラ」(画像:日産)。
同社は乗用車事業への参入をもくろみ、1952年にクライスラーと提携を結んでプリムス車のノックダウン生産を開始しますが、大型乗用車の国産化に否定的だった当時の通商産業省(現・経済産業省)の妨害により、必要な外貨割当を受けられずに事業が頓挫。ノックダウン生産は中止を余儀なくされました。
朝鮮戦争が終わり、1950年代中頃を過ぎるとアメリカ軍の車両修理依頼が激減したため、富士自動車はやむなく人員削減を発表しますが、これに不満をもった労働者らが大規模な労働争議を起こします。その結果、追浜工場は閉鎖され、これを日産自動車が入手して現在に至ります。
追浜工場は専用埠頭を持つことから、遠隔地や海外向けの完成車については、内陸の栃木工場で生産された車体についても追浜までキャリアカーで運ばれて来て、ここから船積みされていました。しかし、2010年に佐野田沼IC~岩舟JCT間の開通により北関東自動車道と東北自動車道と接続すると、輸出港である茨城港へのアクセスが大幅に改善されました。
その結果、東京湾の奥にある追浜工場からの輸出量が大きく減り、それに伴って日産社内における追浜工場の重要性も低下しています。加えて、追浜工場自体の施設の老朽化に加え、日産が業績悪化に陥ったのですから、同工場がリストラ対象として検討されるのもやむを得ないことなのかもしれません。
しかし、地元である神奈川県、そして横須賀市などにとっては地域経済や雇用、税収などへの影響が大きいため、とうぜん反対の姿勢です。歴史ある追浜工場がどのような扱いを受けるのか、今後の動向に要注目です。
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