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「尾翼なんて飾りです!」稀代の設計者ノースロップが追求した「全翼機」実用化までの道のり

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  • 乗りものニュース
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飛行機というと、主翼に細長の胴体、複数の尾翼というのが一般的な形状です。しかし、いまから100年も前に主翼と胴体が一体化した「全翼機」を考え付き、具現化した男がいました。彼の理念がアメリカ空軍に届くまでを振り返ります。

B-2ステルス爆撃機の起源は100年前

 アメリカ空軍が運用するB-2「スピリット」戦略爆撃機は、主翼と胴体が一体化した全翼機という特異な形状が目を引きますが、これによりレーダー波の反射を最小限に抑えることで、レーダーに探知されにくいという特徴を有しています。

 この機体は秘密裏に長期間をかけて開発され、初号機は1988(昭和63)年に完成。翌1989(平成元)年に初飛行に成功しました。開発・製造したのはアメリカの一大航空機メーカーであるノースロップ・グラマン社。同社は元々、ノースロップ社とグラマン社という別々の航空機メーカーが合併し一つになって生まれた会社です。

 全翼機は、一方のノースロップ社の創始者であるジャック・ノースロップのライフワークともいえる構想で、起源はなんと1920年代にまで遡ります。

Large 210714 wingplane 01アメリカ空軍のステルス戦略爆撃機B-2「スピリット」。垂直尾翼や水平尾翼などない全翼機という形状をしている(画像:アメリカ空軍)。

 航空機が破竹の勢いで発展していた当時、若きエンジニアだったジャック・ノースロップは、航空機の次なる飛躍は全翼機であると考えるようになります。その理由は、揚力を発生させず、むしろ空気抵抗の原因となる尾翼と胴体を排除した方が航空機にとっては都合が良いため、突き詰めると全翼機が最も適していると考えたからでした。

 彼は、自身の理論を証明するために実験機を製作し始めます。それらの実験を基に完全な全翼機として最初に開発したのが「N-1M」で、1941(昭和16)年7月、初飛行に成功しました。層流翼を用いた「N-1M」はピストンエンジンを2基搭載していましたが、重量が過大で出力不足のため65馬力のエンジンを117馬力のエンジンに換装して試験が続けられます。

 その結果、全翼機の可能性にノースロップは自信を持つようになり、自らの理論を引っ提げてアメリカ陸軍の長距離大型爆撃機プロジェクトに参加したのです。

第2次大戦中も絶え間なく開発

 第2次世界大戦中の1941(昭和16)年12月、アメリカ陸軍航空隊(アメリカ空軍の前身)は1万ポンド(約4530kg)の爆弾を搭載して往復1万マイル(約1万6000km)を飛行可能な超長距離爆撃機の提案要求を各航空機メーカーに出します。結果、この爆撃機の開発はコンソリデーテッド社とノースロップ社が請け負うことになりました。

Large 210714 wingplane 02第2次世界大戦終結直後の1947年10月に初飛行したXB-35「フライングウイング」。推進はピストンエンジン(画像:アメリカ空軍)。

 コンソリデーテッド社の案は当時の新型爆撃機B-29を一回り大きくした空前の巨大機であったのに対し、ノースロップ社の案は先進的な全翼機でした。史上初の大型全翼機となるため、設計に必要なデータ収集と全翼機特有の飛行特性をパイロットに習熟してもらうことを目的に、実機の三分の一の実証機が製作されます。これが「N-9M」で、1942(昭和17)年12月27日に初飛行しました。

 275馬力エンジン双発で最大速度415km/h。全翼機らしい高性能ぶりでしたが、飛行の不安定性も露呈しました。その問題を解決するためにノースロップ社は時間を要してしまい、大型爆撃機の開発はコンソリデーテッド社に先を越されてしまいます。

 コンソリデーテッド社の機体は大戦終結後の1946(昭和21)年8月に初飛行し、B-36「ピ-スメーカー」として採用されました。一方、ノースロップ社の全翼試作爆撃機XB-35「フライングウイング」が初飛行したのは、B-36に遅れること1年後の1947(昭和22)年10月21日でした。

 この開発遅延が響いたのか、第2次世界大戦終結に伴う軍事予算の削減もあって、世界初の全翼爆撃機は不採用となったものの、アメリカ空軍(1947年に陸軍より独立)はその先進的なデザインについては研究の余地があるとして、前量産機YB-35による飛行試験を続けることを決めます。また、うち2機は、ピストンエンジンをジェットエンジンに換装したYB-49に生まれ変わることとなりました。こうして、更なる飛行試験が続いたものの、結局、YB-35・YB-49とも爆撃機として採用されることはありませんでした。

 なお、ノースロップは晩年、この決定には政治的な判断が介在していたと述べています。

大貢献したフライ・バイ・ワイヤの登場

 とはいえ、YB-35やYB-49を試験した結果、全翼機特有の形状はレーダー波の反射が少なくなるという性質とともに、不安定な飛行特性により操縦が難しいことに加えて爆撃精度が低いという問題が明らかになります。

 ただ、このような欠点を解消する画期的な技術が、1960年代以降に登場しました。それは「Fly By Wire(フライ・バイ・ワイヤ)」と呼ばれる飛行制御方式です。直訳すると「電線で飛行する」となります。パイロットが操作する操縦桿やペダルと操舵面の間を機械的に結んでいた金属ロープやロッド、滑車などを、電気信号に置き換えようというものです。

 こうすることで操縦桿や操舵面の動きにコンピューターを介在させることができるようになるため、細かな操作補正を加えることが可能になり、人工的に飛行安定性を高めることが可能になります。この技術により操縦が難しい不安定な機体でも、毎秒数十回という頻度で補正を繰り返すことで安定して飛び続けることができるようになりました。

 このフライ・バイ・ワイヤの普及により、全翼機が再び脚光を浴びることになったのです。全翼機を得意としていたノースロップ社はレーダーに探知されにくいステルス戦略爆撃機としてB-2「スピリット」を開発、1989(平成元)年7月に初飛行すると、ついにアメリカ空軍の制式採用を勝ち取り21機生産、2021年7月現在も20機が現役で運用されています。

Large 210714 wingplane 03ジェットエンジンを搭載したYB-49(画像:アメリカ空軍)。

 ちなみに、全翼機の生みの親ともいえるジャック・ノースロップはB-2「スピリット」の初飛行と制式採用を見届けることなく、1981(昭和56)年2月18日に85歳で永眠しています。

 ただ、その1年前、存命中にノースロップ社から当時極秘とされていた開発中のB-2爆撃機の模型をプレゼントされています。これはアメリカ空軍による粋な計らいでした。

 その直後に、ノースロップは生涯を閉じたわけですが、彼が理想とした全翼機B-2「スピリット」は1993(平成5)年の部隊配備以来、約30年経った現在においてもアメリカ空軍の切り札的存在として空を飛び続けているのですから、天国からその様子を眺めてさぞかし満足しているのではないでしょうか。

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