上野東京ライン構想もすでにあった!? 戦前の「鉄道改良計画」は実現したのか? 東京圏の戦後をズバリ予測!?
- 乗りものニュース |

戦前に「大東京の省線電車の沿革と將來の改良計畫」と題された論文が発表されました。鉄道黄金時代の当時に描かれた鉄道の未来像とは、どのようなものだったのでしょうか。
戦前の鉄道黄金期に書かれた「改良計画」のその後
現在の東京圏鉄道ネットワークは1930年代に概成しました。地下鉄や京葉線、総武快速線など戦後に整備された路線も多くありますが、JRと私鉄の主要路線の多くは大正末から昭和戦前期にかけて整備されたものです。
JR中央線の三鷹までの複々線区間は、中央・総武線各駅停車と中央線快速が並走する(画像:写真AC)
そのような戦前の鉄道黄金時代の絶頂期だった1937(昭和12)年4月に発行された雑誌に、鉄道省工務局鉄道技師が「大東京の省線電車の沿革と將來の改良計畫」と題する論文を投稿しています。しかし同年7月に勃発した日中戦争以降、日本は戦時体制に突入したことで、都市鉄道の大規模改良は停滞の時代を迎えます。
当時の構想は一部が戦後に持ち越されて実現しましたが、実現せずに計画が変更され、陽の目を見なかったものも多くあります。当時の構想と現実を比べながら見ていきましょう。
鉄道網と人口は両輪の関係で拡大していきます。東京市では大正中期以降、鉄道沿線を中心に郊外化が進んだ結果、通勤圏は都心10km圏から20km、30kmへと拡大していきます。面的に拡大する輸送需要に対応すべく、鉄道省は都心20~30km圏の電化や複線化、複々線化などを計画しました。
やや後の時代ですが、1940(昭和15)年の時刻表を開いてみると、山手線は最短4分間隔で、1周の所要時間は現在とほぼ同じ約1時間5分程度です。中央線は急行電車(快速線)が東京~中野間で4分間隔、所要時間は約20分で、こちらも現在とほぼ同等です。なお、編成両数は山手線が最大7両、中央線が5両でした。
明治末期から電車運転を行っていた中央線・山手線、大正時代に開業した京浜線に続き、1932(昭和7)年に東北線が大宮まで電化して現在の京浜東北線が成立。続いて1935(昭和10)年までに総武線が千葉まで、1936(昭和11)年に常磐線が松戸まで電化されました。
前掲の論文が最初に指摘していた課題が、中央線の輸送力増強です。1937(昭和12)年3月時点で中央線の複線区間は立川まで。そして立川以西の単線区間では1日120往復の列車を運転していたことから、浅川(現・高尾)までの複線化工事を進めていました。
輸送力が逼迫していた都心区間では、1933(昭和8)年に東京~中野間を複々線化し、ラッシュ時に急行電車(現在の快速)の運行を開始しました。
論文では、地下鉄の新宿延伸が実現すれば沿線は一層発展し、さらなる利用者の増加が予想されることから、将来的に中野~吉祥寺間の複々線化が必要と述べています。これは戦後、通勤五方面作戦の第一段階として進められ、1969(昭和44)年までに中野~吉祥寺~三鷹間の複々線化が完了しました。
「上野東京ライン構想」もあった
もうひとつの難問が、京浜間の輸送改善です。日本初の鉄道が開通した東京~横浜間は利用者が最も多い区間であり、東海道線、横須賀線、京浜東北線、京浜電気鉄道(現・京急電鉄)、東京横浜電鉄(現・東急東横線)が並行してなお、輸送力不足に悩んでいました。
1937(昭和12)年当時、ラッシュ時間帯の乗車率が200%を超えていた京浜東北線は8両編成、最短3分40秒間隔の運転でしたが、田町で山手線と合流するため、これ以上の増発は困難でした。
山手線と京浜東北線が並行する田町~田端間は現在、それぞれの線路を走る複々線区間ですが、実は1949(昭和24)年から1956(昭和31)年にかけて「分離工事」が行われるまで両路線は複線を共有していたのです。
複々線化用地は確保済だったため、鉄道省は1936(昭和11)年から品川~東京間の増線工事に着手しますが、当時の目的は「京浜東北線と山手線」ではなく、「急行線と緩行線」の分離でした。緩行線は従来の京浜東北線と山手線、急行線は東京発着の京浜線快速と、1930(昭和5)年に電化し中距離電車の運行を開始していた横須賀線が乗り入れる計画でした。
論文には1940(昭和15)年頃の完成を目指して鋭意工事を進めているとありますが、戦争の影響で工事は停滞。浜松町~田町間の立体交差構造など一部が形になったところで、1942(昭和17)年に中断されました。この高架線はそのまま品川車両基地に残されていましたが、高輪地区再開発の一環で2015(平成27)年に撤去されました。
さらなる展望として、桜木町から根岸、磯子を経由して北鎌倉に至る路線、後の根岸線が開業する暁には、京浜東北線を根岸線経由で横須賀方面へ運転したいとも記されています。根岸線は2008(平成20)年までごく一部の列車が横須賀線に乗り入れていましたが、そのルーツとも言える構想かもしれません。
またこの他、東京~上野間の線路増設による常磐線電車の東京乗り入れ、常磐線・東北線・高崎線の東京以南への直通運転、つまり現在の「上野東京ライン」構想にも言及しているのは興味深いところです。
1937(昭和12)年の「改良計画」は、鉄道の大規模改良工事は構想から着工まで長い時間がかかること、またその過程で姿を変えていくことを伝えています。
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