かつてはパラパラの聖地も 90年代「神楽坂」は今と違って「夜の街」だった
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近年形成されたパブリックイメージ
新宿区の神楽坂エリアは散策スポット、グルメタウンとして、高値安定の人気を誇っています。
神楽坂が
・歴史や文化の香りがする街
・文教地区
・閑静な住宅街
であることは、昭和の時代から一貫しています。しかし、今日のようなパブリックイメージが完成したのは意外に最近のことなのです。
少なくとも1990年代までの神楽坂は決して、カフェ、ベーカリー、パティスリー、ブラッスリー、ビストロ、ワインバー、スペインバルといった系統の店が、軒を連ねるようなところではありませんでした。
現在、グルメサイトのランキング上位を占める人気和風懐石料理店はいずれも影も形もなく、アンティークな雑貨店やアートギャラリーなどが点在する傾向もなかったといえます。
つまり、現在の神楽坂人気を支える重要な要素が希薄だったわけです。
そしてその一方、かつての神楽坂には“歓楽街”の匂いがありました。1本通りを曲がればすぐに住宅地があることもあり、あのギラギラした歌舞伎町(新宿区)とは異なるソフトな印象ながら、間違いなくそれが神楽坂を構成する要素のひとつだったのです。
その背景にあるのは、この街が“花街”として興隆した歴史でした。
粋な芸者衆が行き交った明治時代の神楽坂
江戸時代、幕府が公式に認めた江戸唯一の「遊郭」は、新旧の吉原(中央区から火災で台東区に移転)にありました。
かたや、それ以外の非合法の遊郭は「岡場所」と呼ばれました。そして、現在も神楽坂のランドマークのひとつである善國寺(通称、神楽坂毘沙門天)周辺は当時、岡場所として栄えていました。
それが下地となり、明治時代以降の神楽坂は「花街」として発展してきます。花街というのは、簡単にいえば、主に成人男性が芸者遊びを楽しむための環境が整った一帯のことです。
花街としての神楽坂には、ピーク時に700名人もの芸者がいたといわれます。また、これと連動するかたちで、戦前、戦後と一貫してエリア全体にアルコールを提供する飲食店が多く、昭和のある時期までは映画館、劇場、寄席、雀荘(じゃんそう)、パチンコ店などさまざまな娯楽施設がありました。
昭和の歓楽街の象徴が4年前まで営業していた
歓楽街の色が濃かった時代の名残のひとつが、古びたたたずまいのまま2016年まで残っていました。
神楽坂通りから1本入った神楽小路にあった「飯田橋くらら劇場」です。ここは成人映画専門の映画館として60年以上も稼働していました。成人映画館というのは昭和の歓楽街の象徴のようなものでしたが、それがわずか4年前まで神楽坂にもあったのです。
また、方向性は異なりますが、まだバブル景気の余韻が残っていた1992(平成4)年に神楽坂下にオープンしたディスコ「神楽坂TwinStar(ツインスター)」(2003年閉店)は歓楽街のイメージとリンクします。
かつてあった「大人向けのディスコ」
社会現象となった「ジュリアナ東京」(港区芝浦)に負けず劣らずの広いスペースを誇ったツインスターは、“大人向けのディスコ”といったコンセプトを掲げていました。
当初、話題性でジュリアナ東京に大きく差をつけられていましたが、1990年代後半、パラパラ路線に転換すると、ブームの中心地的なにぎわいをみせた時期もありました。
今となっては、神楽坂とパラパラという組み合わせに違和感があるかもしれませんが、これはまさに過渡期だからこその特異な現象だったのかもしれません。
というのも、ツインスターが開業した頃には、すでに神楽坂の料亭、芸者の数は減少、映画館や劇場などもほとんど姿を消しており、花街、歓楽街の色が薄くなっていました。
それと反比例するかたちで、2000年代以降、街全体が再開発されていくに従い、江戸の風情は残しつつも、今の神楽坂の典型ともいえる系統の店舗が増えていくことになります。
人気に火を付けた二宮和也主演ドラマ
リブランディングを図った神楽坂の追い風となったのが、2007(平成19)年に放送された、嵐の二宮和也主演のテレビドラマ『拝啓、父上様』(フジテレビ系)です。
神楽坂を舞台にしたこの作品が人気を呼び、ロケ地巡りにやってくる人(特に女性)が急増。ちょうど散歩ブームの波もあり、この頃から徒歩で巡りやすい神楽坂は人気タウンとして確固たる地位を築くことになります。
以後も再開発はさらに進みます。
神楽坂下から外堀通りを挟んだところに、洋菓子店&カフェの「CANAL CAFE boutique(カナルカフェブティック)」がオープンしたのは2010年。ショッピングモール「PORTA 神楽坂」の誕生はその翌年。神楽坂通りと外堀通りが交差する角のところに「スターバックスコーヒー 神楽坂下店」が開業したのは2012年で、東西線神楽坂駅の近くに「la kagu(現在はAKOMEYA TOKYO in la kagu)」が登場するのは2014年のことです。
芸者たちは今なお健在
このことからも、今の神楽坂のデザインがほぼできあがったのは2010年代前半だということが分かります。
江戸時代からの長い歴史を考えると、ついこの間のことです。
なお現在の神楽坂にも明治・大正・昭和から続く老舗や、花街の灯を守っている少数精鋭の芸者たちが存在しています。このことを忘れてはなりません。
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