どうせ読むならポイント貯めない?

少年少女の自殺も他人ごとではない―「アンパンマン」やなせたかしさんの思春期と反抗期

909 YOU
  • マイナビウーマン
  • |

子どもたちに大人気の「アンパンマン」の生みの親・やなせたかしさん。やなせさんと妻・暢さんをヒロイン夫婦のモデルとして描くNHK連続テレビ小説『あんぱん』もはじまり、今あらためて、その生き方に注目が集まっています。母の再婚後、やなせさんが抱えていた孤独や初恋の思い出を紹介します。

\やなせたかしさんの半生と、「アンパンマン」のもとになった考え方/

正義とは何で、正義の味方とはどのような人なのか。
戦争を生き抜き、「アンパンマン」をはじめ数々の絵本や作詞で名作を残したやなせたかしさんは、90歳のときに、正義についてあらためて考えた一冊を遺しています。

「今、ぼくたちが生きている社会は、世界の戦争や環境問題、不安な政治、殺人事件、怒りの気持ちになることが毎日起こっています。 
でもぼくは多くの人を喜ばせたい。」

==========

小学生で母が再婚し、伯父の家で暮らすことになったやなせさん。その後の生き方や初恋の思い出を書籍『新装版 わたしが正義について語るなら』(ポプラ社)から一部抜粋してお届けします。

母の再婚。孤独を感じていた頃

Pixta 60855419 s

※画像はイメージです

ぼくの第二の父母となった伯父と伯母はとても良い人でした。ぼくはいつの間にか「お父さん」「お母さん」と呼ぶようになり、何も不自由なく育てられました。
でも子どもの時に伯父と伯母の愛が理解できていたとはいえません。たとえ肉親でも、実子ではない子どもを育てるのがどれだけ大変なことか、ずっと後になってから思い知りましたが、後悔しても手遅れで申し訳なく思います。
 
孤独で寂しい気持ちは絶えずあって、幼い頃はともかく、思春期と反抗期は相当グレて危険な精神状態にありました。毎日どうしてあんなに涙が出るのかというほど泣いていましたが、その原因はまったく覚えていません。
 
自殺しようとしたこともあります。
 
死のうと思って夜の線路に横たわりました。電車が近づくと怖くなって逃げ出したのですが……。
 
家出しようと、隣の木材所にずっと隠れていたこともあります。町の消防隊を中心にして捜索隊が組織され、ぼくの名前を口々に呼びながら捜しまわるという大騒動になり、出るに出られず本当に困りました。空腹に耐えられなくなって夜中の三時に家に帰ったのですけれどもね。
 
伯父は「よく帰ったな」と一言。伯母は泣きくずれて「もう二度と叱らない」と言いましたが、ぼくがマンガ家になったずーっと後まで、ぼくの顔を見るたびに「あのときのタカちゃんは」と言われ続けることになります。

Pixta 114905047 m

※画像はイメージです

 
ときどきニュースで少年少女の自殺の記事を見かけます。ぼくには他人ごとではありません。一歩間違ったらぼくも死んでいたかもしれないと思う時があります。
 
大人になればとるに足らない些細なことも、小さな蟻にとってはちっぽけな水たまりが生命に関わるように、深く傷つき絶望してしまいます。そんなこともあって、ぼくはとても扱いにくい手のかかる子どもだったことは間違いありません。
 
ところが、中学校を卒業する頃からコトンと憑き物が落ちたように優しい性格になりました。特に兵隊に行って文字通り鍛え直されてからは温和になりました。伯母は「タカちゃんは、ずいぶん変わった」とよく言います。昔は手に負えなかったという意味でしょうね。
 
ところで、伯父が「柳瀬医院」を開業していたのは高知県(南国市)後免町です。子どもの頃に愛読した「少年倶楽部」に「日本珍駅名集」が載っていて「四国土讃線(どさんせん)に、電車が着くたびに駅員が『ごめん、ごめん』と謝っている『ごめん駅』がある」と記されていました。
 
その「ごめん駅」から直線距離で二百メートルのところにぼくは住んでいました。住んでいる時には、少しも珍名とは思っていませんでした。今は駅前町という名前になっていますが、まったく風情がありませんね。ごめん町の方がはるかに面白い。
 
柳瀬医院は町の中心部から少し外れて舟入(ふないれ)川がわを渡ったあたりにありました。
隣が浜田酒店、前が高橋石材店、その隣は製材所で、舟入川を流してきた材木を製材していました。その隣は原っぱ。
 
子どもの遊び場としては絶好の地で、田んぼも畑も山もあって、小川では魚捕り、蛙を追いかけ、春は菜種とレンゲの花。
 
桃や桜の木が家の庭にあって、秋になれば曼珠沙華(まんじゅしゃげ)が一面に咲く。夕暮れには山のお寺の鐘が鳴り、月光燦々、夏には蛍の乱舞。日本の平均的な農村風景ですが、幼少時代をこの土地で過ごせたのは、幸運なことでした。忘れられない夕暮れもあります。
 
第二の父となった伯父は俳句を詠みました。オートバイにサイドカーをつけて田舎道をぶっ飛ばすような人でもあり、多趣味な遊び人でした。柳瀬医院は、歯医者や農業学校の先生など町の知識階級の人たちが集まるサロンみたいになり、ほとんど毎晩宴会をする家でもありました。ぼくが育ったのはそんな家です。

Pixta 58739864 m

 
小学校を卒業後、ぼくは県立城東(じょうとう)中学(現高知追手前高校)に進学します。
城東中はぼくが入学した時に、鉄筋コンクリートに改装されて、当時としてはモダンな校舎でした。シンボルの時計台は、現在の高知追手前高校に引き継がれています。
 
汽車通学で定期を見せて改札口を通るのが嬉しくてね。なんか、いっぺんに大人になったような気分でした。
 
そしてよくある話ですが、同じように汽車通学をしている女学生のひとりに恋をしてしまったのですね。一目惚れで、駅で会えるのが嬉しくてたまらない。
遠くから見て胸をときめかせているだけですが、中学一年生というのはどうしようもありませんね。朝から晩までその女の子のことばかり考えて、まったく勉強が身につかない。困ったことになりました。
 
思春期というのは実に危険な年頃ですね。今から考えてみれば精神的には未熟なのだけれど、性に目覚めてしまう。健康な男子なら当然のことですが、それが勉学の妨げになります。ぼくはその頃からどんどん成績が悪くなって、学年二百人中、五十番から七十番のあたりを上下していました。
 
夏休みには、故郷の祖母の家に帰っていました。朝から晩までセミ捕り、水泳、山登り、トウモロコシの丸齧り、さらに卵焼きも食べ放題。おまけに読み切れないほどたくさんの雑誌。そうして楽しく遊んでばかりいて、勉強や宿題はいっさいやりませんでした。
 
ぼくは、この故郷の家から変名で初恋の彼女に恋文を送りました。すぐに返事がきたのですが、それはなんと彼女の父親からで「今度こんなことをしたら学校へ通告する」と書いてあったので顔面蒼白、ぼくは手紙を破って捨ててしまいました。誰にも言いませんでしたが、ぼくの初恋はそれで簡単に終わり。
 
でも実は、大人になってからこの彼女とは、再会しています。
 
マンガ家としてやっと自立した一九六八年に、小さな展覧会場で会いました。
しっとりと落ち着いた人妻になっていて美しかったので、なぜかほっとしました。
「父が昔、失礼な手紙を差し上げてごめんなさい」と彼女は言いました。
 
その時になんと答えたのかは覚えていません。「いやあ、ムニャムニャ……」なんてごまかしたと思います。まあね、初恋なんてそんなもので、生きていればあの人もぼくと同年齢ですから、すべて夢みたいなものです。

=====

この続きは、是非書籍でご覧ください。

61ncparhxcl. sl1000

『新装版 わたしが正義について語るなら』ポプラ社

※本記事は、『新装版 わたしが正義について語るなら』著:やなせたかし/ポプラ社 より抜粋・再編集して作成しました。

実は損している?

ニュースを読んでポイントが貯まるサービスがあるのを知っていますか?ポイントサイトのECナビでは好きなニュースを読んでポイントを貯めることができるのです。(※ECナビはPeXの姉妹サイトです。)今日読んだニュースが実はお小遣いになるとしたら、ちょっと嬉しいですよね。

ポイントの貯め方はニュースを読む以外にも、アンケート回答や日々のネットショッピングなど多数あるので、好きな貯め方でOK!無料で登録できてすぐに利用できます。貯まったポイントはPeXを通じて現金やAmazonギフトカードなどに交換できます。

運営実績も15年以上!700万人以上の方がポイントを貯めています。毎日好きなニュースを読んでお小遣いを貯めてみませんか?

YOUの気持ち聞かせてよ!

いいね いいね
ムカムカ ムカムカ
悲しい 悲しい
ふ〜ん ふ〜ん
NEWS一覧へ
PeXポイントで賞品を当てよう!

ポイント ポイント獲得の流れ

ポイント獲得の流れ

ポイント ルール・注意事項

ポイント獲得!!