「おばけ排気量」「おばけ価格」売る気あったの!? ホンダ「幻のバイク4選」 ちょっとだけ販売されたヤツも
- 乗りものニュース |

なぜ中止に?ホンダ「幻のバイク」たち
機能性と安全性を追求した数多くのバイクを誕生させたことで、世界中のバイクメーカーの中でも最も優等生的な存在として知られるホンダ。その長い歴史の中で、惜しみなく開発技術を注ぎ込んだモデルでも市販計画が撤回、あるいは実際に市販されながらも市場ではほとんど見かけぬまま消えていった「幻のバイク」と呼ばれるモデルが複数あります。
ホンダの数多くのモデルの中には市販されたのに「幻」となったバイクがわずかにあった。写真はNR(画像:ホンダ)
「幻の1470cc」の陰にあのモデル 「M1」
最初に挙げるのはとんでもない排気量の試作車です。
1969年、ホンダCBのフラッグシップモデルとして発売されたCB750 FOUR。同車は国内市販車初の750ccの排気量を持つ二輪車であり、いわゆる「ナナハン」ブームを巻き起こしました。その人気ぶりは社会現象に発展する程に過熱します。この成功を受けて意気揚々としていたホンダは、70年代に入ってからさらに上を行くフラッグシップモデルの開発を始めました。
それが幻の1470ccモデル「M1」、またの名を「The king of kings(王の中の王)」と呼ばれる試作車です。
1975年発売の初代ゴールドウイング・GL1000の開発が始まった70年代初頭。この時点ですでに、「M1」が存在していたと言われています。1470ccという高排気量エンジンの開発を最優先させるため、ミッションやシャフトドライブを含むリア周りはBMW R75/5のパーツを流用しました。一方でフロント周りはCB750 FOURのものを流用するという荒業に出ます。まさにニコイチならぬ「3個イチ」のような状態で開発が行われました。
ただし、このM1はそもそも市販計画がないモデルであり、あくまでも試作車です。
その試作車がなぜ、伝説としてホンダファンの間で語り継がれているのかといえば、「初代ゴールドウイング・GL1000の礎がM1だった説」が、まことしやかに語り継がれているからです。
実のところこの説は誤りであり、M1は「1470ccの水平対向6気筒という、規格外にデカいエンジンをうちでは作れる」「従来のバイクエンジンの振動などの弱点は克服できる」という内部的なアピールを行うような開発目標でした。
本田宗一郎は当時、M1の仕上がりにご満悦だったようです。しかし、一般的にはほとんど日の目を見ぬまま、その伝説のみが一人歩きしているモデルとなっています。
「幻のモペット」ホリディ(PZ50)
二台目の「幻のバイク」は市場に出なかった一台です。
ホンダのバイク史を辿ると、自転車にもなりエンジンとスロットルをもつ、いわゆるモペットに注力した時期があります。1966年発売のモペット、リトル・ホンダを皮切りに「なんとかしてモペットを日本に浸透させたい」と苦心した跡が垣間見えてきます。
おそらく、ホンダの成り立ちである「自転車用の後付けエンジンの製造販売が出発点だった」ことがそうさせたのではないか、と思います。現に女性や高齢層でも手軽に乗れる原付スクーターブーム期においても、モペットモデルのピープル(1984年)を発売するほどです。ホンダにとっての「モペット」は特別な意味があるのだろうと思います。
そのピープルから遡ること11年前の1973年頃、ホンダ社内では「ブーンバイク」というサスペンション付き自転車のアイデアコンテストが行われました。そこで採用されたのが、後に開発が始まるモペット、ホンダ・ホリディ(PZ50)に繋がるアイデアでした。
後に鈴鹿製作所のスタッフによる少人数体制で開発が進み、最終的にホンダ社内で「1200台」という生産台数計画を得るに至ります。ですが発売直前で「操縦安定性に問題がある」として発売中止となりました。
ただし、その時すでにホンダの従業員や販売店関係者にホリディが販売されていたそうです。その結果、ごくわずかな台数の車両が出回ることになり、ホンダファンの間で「レア中のレアモデル」として支持を得ています。
また、発売直前で中止になりながらも、生産ロットの都合で実は「3型」までマイナーチェンジがなされています。この「型の違い」もマニアにとっては重要な話になってくるとのこと。
余談ですが、前述の発売直前での中止について「本田宗一郎さんが社員の前で試乗してコケて大激怒したから」といったある種の都市伝説な逸話が語られています。ですがこのエピソードは、実際のところデマだと言われています。
幻のエンジンを搭載した「幻のレーサー」NR
「幻のバイク」3台目は高価かつ独自のエンジンを備えた一台です。ホンダは1979年に世界選手権ロードレース(WGP)において主流だった2ストロークエンジンに対抗するために、NR500という楕円ピストン技術を投入。その後長らく「楕円ピストンエンジン」開発に力を注いでいました。
WGPのレギュレーションである「4気筒の排気量・気筒数制限」を守りながら、1気筒あたり8バルブと2本のコンロッドを収めるための楕円形状ピストンを開発。シリンダー、ピストンリングの気密保持や熱変形対策など、超精密な加工技術をモノにしていきました。その技術力を市販車に反映させたのが、1992年発売のホンダ・NRです。
公道走行が可能な、楕円ピストン搭載の市販レーサーとしてこの車両はおおいに注目を集めました。ですがその価格はなんと520万円。300台の限定販売であり、その少なさから市場ではほとんど目にすることがない“幻のレーサー”として語り継がれています。
肝心の楕円ピストンのエンジンは、ホンダが独占的に特許を取得したことなどから、世界的なレースのレギュレーションを決める国際自動車連盟(FIA)や国際モーターサイクリズム連盟(FIM)が規制を設ける運びとなりました。その後2007年からは、楕円ピストン搭載のレーサーでの参戦が禁止されるまでに至りました。
カブみたいな名前の「幻のスクーター」CUV ES
そして最後のホンダの「幻のバイク」が1994年発売の電動スクーター、ホンダ・CUV ESです。
ホンダはかなり早い段階でバイクやクルマの排出ガスによる環境への影響を考え、対応策に積極的に取り組んできました。他メーカーに抜きん出て、いち早く電動スクーターを発売したことでも知られています。
電動スクーターは画期的な技術ですが、課題もありました。当時はまだリチウムイオン電池がなく、重いニッケル・カドミウム電池を使わざるを得なかった時代です。その販売台数も200台と少数で、さらに売り先は官公庁や地方自治体に絞られました。これは同車の使用状況を把握するために、リース方式が取られたためです。
そのため、一般市場で個体を見かけるのはごく稀となりました。ホンダ・CUV ESもまた「幻の電動スクーター」として語り継がれています。
ホンダ・CUV ESに遅れること8年後の2002年には、ライバル・ヤマハがパッソルの電動スクーターモデルをリリースし、一定の評価を得ました。ホンダ・CUV ESは取り組みがあまりに早すぎたのか、評価が乏しかったのは残念なところです。
技術向上を目指した結果で生まれた「幻のバイク」たち
ホンダの「幻のバイク」たち4モデルのストーリーを見ると、ホンダが常に失敗を恐れず、そして業界をリードし続けるために相当な研究開発を費やし、技術向上を目指したことで、その結果「幻」となったものが多いことがわかります。
バイクメーカーに先駆けて開発し、1994年に発売した電動スクーター、ホンダ・CUV ES(画像:ホンダ)
確かに市販化されないモデルがあり、市販されても諸条件からほぼ目にすることなく消えていったモデルも多いですが、こういったレアなモデルとストーリーもホンダファン、バイクファンにとっては心をくすぐられるところです。同時に、これからのホンダにも、バイクシーンをリードし続けるためにも、臆することなく斬新な開発をし続けていってほしいと願うばかりです。
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