136年そのまま!?「日本一小さな村」が、意外なほど発展できたワケ 電車が便利なだけじゃない「ケンカして勝ち取った」もの
- 乗りものニュース |

「日本一小さな村」かつ「日本一小さな自治体」が富山県にあります。電車アクセスの利便性から、県都の近郊のベッドタウンとして発展しましたが、その裏には「闘い」の歴史がありました。
「日本のモナコ」を目指した小さな村
日本一小さな村というと、山奥または離島にあるようなイメージを持たれるかもしれません。意外にも県庁所在地と隣接しており、村内唯一の駅に止まる電車の利便性が独立を貫くことができた原動力になりました。
越中舟橋駅に入る富山地方鉄道の17480形。元東急8590系(大塚圭一郎撮影)
「舟橋村は日本のモナコになる」――日本一小さな村の長は、かつてこう宣言しました。モナコ公国はバチカン市国に次ぐ、世界で2番目に小さな国ながら、豊かな経済を誇ります。宣言をした元富山県舟橋(ふなはし)村長で衆議院議員も務めた故・稲田健治氏は、市町村の合併が進められた1956―61年の「昭和の大合併」で再編圧力を跳ね返しました。
その精神が受け継がれた舟橋村は1889(明治22)年の市町村制施行以来、136年の歴史で市町村合併をしたことは皆無です。東西・南北それぞれ約2km強、面積3.47平方キロメートルと、東京ドームのほぼ74個分にとどまる小さな村ながら、「平成の大合併」の自治体集約に伴って2006年に「日本一小さな村」および「日本最小の自治体」となりました。
村内には「日本一ちっちゃな舟橋村」と記した看板が立つなど、日本一小さいことを積極的に売り込んでいます。ちなみに新潟県、富山県、石川県、福井県の北陸4県にある村は舟橋村だけです。
立地は地中海沿岸にあるモナコのイメージとはほど遠い内陸部にあり、それも富山県の県庁所在地、富山市に隣接しています。
富山市という存在感が大きい自治体と隣り合わせでありながら、”独立王国”を保てた理由を探ろうと筆者(大塚圭一郎:共同通信社経済部次長)は私鉄の富山地方鉄道で電鉄富山駅から舟橋村唯一の駅、越中舟橋駅へ向かいました。国や富山県にたてついても独立志向を貫いた元村長の気迫と、富山市中心部と電車で手軽に移動できる利便性こそ、「日本のモナコ」を標榜してきた舟橋村が独立した自治体として生き残ることができた原動力となりました。
「こんなバカな法律があるか!」闘って勝ち取った人口増
舟橋村によると、2025年8月1日時点の人口は3327人で、1990年の1371人から35年間で2.4倍に膨らみました。村内での宅地開発の成功が移住者を呼び込みましたが、その背景には危機感がありました。
越中舟橋駅前にある「日本一ちっちゃな舟橋村」の看板(大塚圭一郎撮影)
舟橋村が2021年に発行した「第2期舟橋村人口ビジョン」によると、舟橋村の人口は第2次世界大戦が終わった1945年に1497人でした。50年には1428人に減少し、その後は90年まで1300-1400人程度で推移しました。80年の出生数は8人にとどまり、1981年から6期24年にわたって村長を務めた故・松田秀雄氏は人口増加策を進めようとしたものの、大きな壁が立ちはだかっていました。
それは1970年度に舟橋村全域が「市街化調整区域」に指定されていたことです。市街化調整区域とは都市計画法の第7条第3項に基づき、都市が無秩序に広がることを防ぐため、市街化を抑制すべきだとして定められた区域です。指定により、舟橋村の人口増加策の鍵を握る住宅開発が妨げられたのです。
書籍『奇跡の村・舟橋』(富山新聞社発行)で、松田氏は村長就任当初に「県とケンカをしたんです」と打ち明けています。「自分の財産を自由にできない、こんなバカな法律があるか」という憤りを抱き、舟橋村を市街化調整区域から外すように国や県に粘り強く働きかけ、1988年に国内で初めてとなる除外を勝ち取りました。
市街化調整区域から外れた舟橋村は、村営住宅団地の造成に乗り出します。すると「予想以上の人気となり、追加で造成し、やがて民間デベロッパーが参入した」という好循環が生まれました。子どものいる世帯が多く流入し、1987年に新入生が6人まで落ち込んで存亡の機に立たされた村唯一の小学校、舟橋村立舟橋小学校も息を吹き返しました。
転入者をひきつけたのが、富山地鉄で電鉄富山まで最短15分で通勤できる便利な立地と、アクセスが優れている割には安い土地価格でした。越中舟橋駅には富山地鉄本線、立山線の両方の電車が乗り入れ、電鉄富山行きの電車が平日の朝と夕方に1時間当たり4-6本、日中も1時間に3本走っています。
"我田引鉄"が村を救った?
そもそも、住民を呼び込む原動力となった富山地鉄の舟橋村への乗り入れのレールを敷いたのも、冒頭で紹介した「日本のモナコ」宣言をした稲田元村長でした。
舟橋村立図書館の建物。富山地方鉄道の越中舟橋駅ビルの役割も兼ねている(大塚圭一郎撮影)
『舟橋村史』などによると、富山地鉄の前身に当たる富山電気鉄道の創業者、故・佐伯宗義氏の右腕として用地買収に当たっていた稲田氏は、線路を敷設予定だった近隣の村で「電車が通ると農馬が跳ねて作業できない」といった反対運動が起きていることを聞きつけます。
稲田氏は5kmの範囲ならば線路の敷設場所を移動できることに着目し、カーブを描いて舟橋村を横断するルートに変更。いわゆる“我田引鉄”ですが、ルート変更のおかげで建設費用の低減にもつながったそうです。
舟橋村の発展に大きな役割を果たした越中舟橋駅ですが、富山地鉄は無人化することを決めます。駅の空洞化を防ぐため、村は駅ビルを兼ねた舟橋村立図書館を1998年4月1日にオープンしました。
3階建ての立派な図書館ができたことで駅の来訪者が増え、鉄道利用者が書籍を借りるようになり、村民1人当たりの貸出冊数が日本一になったこともあります。
「大きいことはいいことだ」という概念とは真逆の道をたどり、日本一小さな自治体でも活路が開けることを示してきた舟橋村。ただ、総務省によると日本の2025年8月1日時点の総人口が概算で1億2330万人と前年同月より59万人減るなど急速な少子高齢化が進み、人口減少の波が押し寄せるのは舟橋村も例外ではありません。
第2期舟橋村人口ビジョンでは2040年の人口目標を2978人としており、25年8月1日時点より359人減る計算です。
それでも、2040年の人口目標、ひいては60年の目標(2768人)を掲げていることは独立志向が健在なのをうかがわせます。小さな村でも図書館のほかに、舟橋村子育て支援センター「ぶらんこ」、生涯学習拠点の「舟橋会館」といった充実した施設を構えています。
こうした施設も活用しながら人口減少をできるだけ小幅に食い止める方針で、舟橋村の渡辺 光村長は「『日本一小さな村』から『日本一小さな光りかがやく村』へと進化の歩みを進めます」と意気込んでいます。
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