東京裁判の裏側で――A級戦犯7人、判決の前年したためた「書」から見えるものとは
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終戦の季節にあらためて考える
2021年夏。今年もまた終戦記念日がやってきます。あらためて先の大戦に思いを致す季節です。
筆者(合田一道。ノンフィクション作家)の手元に「遮莫」と題した冊子があります。
極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦争犯罪人として処刑された東條英機をはじめ7人、終身禁固刑16人、有期禁固刑2人、それに獄死1人の合計26人の書です。
法廷に出入りする人物が、裁判の進行中に依頼して書いてもらったものを、後年、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地(新宿区市谷本村町)の市ヶ谷記念館の職員が、少部数印刷したものです。
書いた時期は1947(昭和22)年秋。翌年11月に判決が2日に出て、死刑が執行されたのは12月23日でした。
裁判の最中、被告人とされた26人はどのような思いでこれを書いたのでしょうか。
誠はすべてを排す―― 東條英機
死刑判決を受けて処刑された7人の書を紹介します。最初に、太平洋戦争開戦時に総理大臣を務めた東條英機はこう書いています。
一誠排萬艱(いっせいばんかんをはいす)
昭和丁亥晩秋 英機
誠はすべてを排すという意味で、昭和丁亥は昭和22年を指します。以下、この文字がよく使われています。
感無量―― 板垣征四郎
朝鮮軍司令官、第7方面軍(シンガポール)司令官を歴任した陸軍大将、板垣征四郎の書は、
感無量(かんむりょう)
昭和丁亥秋 征四郎書
板垣はもうひとつ、自分の経歴を長文で残しています。

中支那方面軍司令長官を務めた陸軍大将、松井石根(いわね)の書は、
至道無難(しどうぶなん)
丁亥秋日 石根書
陸軍大将で教育総監を務めた土肥原賢二の書は、
徐行踏(じょこうをふみ)
断流水声(りゅうすいのこえをたつ)
賢二
東條の腹心ともされた陸軍大将、木村兵太郎の書は、
莫妄想(もうそうするなかれ)
兵太郎書
飛龍天に在り―― 広田弘毅
同じく東條の配下の陸軍中将、武藤章の書は、
春風接人(はるかぜをもってひとにせっし)
秋霜自奉(あきしもをもってみずからをほうず)
章書
外交官で内閣総理大臣や外務大臣を務めた広田弘毅は、
飛龍在天(ひりゅうてんにあり)
弘毅書
乱れなき筆致で、毅然と
いずれも死を覚悟して書いたのでしょうが、共通して言えるのは筆致に乱れは感じられず、むしろ毅然とした態度が見えるという点です。

この冊子を通読して、まとめた時期が分かりました。
冒頭に出てくる大川周明の書に「昭和甲午(29年)初春」とあるのです。
大川は大正、昭和初期のファッシズム運動の指導者で、合法的維新を目指す国民運動を展開しています。
五・一五事件に連座して禁固5年の刑を受けますが、極東軍事裁判は精神を患ったとして免除された経緯があります。
その大川が、7回忌に当たるこの年、自ら名乗り出てまとめたのです。
平和を乱した罪
大川はこう書いています。
洛陽知己皆為鬼(らくようのちきみなおにとなる)
昭和甲午初春
大川瓦人書
西郷隆盛の漢詩「獄中有感」から採ったもので、友人たちはみな鬼籍に入ってしまった、という意味です。耐えられない思いからだったのでしょう。

ところでA級戦犯に科せられた罪とは、記録によると、平和に対する罪となっています。
一方的に宣戦を布告して攻め込み、平和を乱した、その先導者だということです。
そうなると、外交官出身の広田弘毅まで及んだのにはやや首をひねってしまいます。
いずれにしろ、戦犯という名で命を絶たれた人がいたという事実を知る人は、少なくなりました。
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