オープンからもう30年 伝説のディスコ「ジュリアナ東京」が大ヒットした理由
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広さは1200平方メートル、最大収容人数は2000人
日本最大級のディスコ「ジュリアナ東京」がオープンして、2021年で30年が経過します。驚きを隠せない人も多いことでしょう。あの一大ムーブメントも既に遠い昔なのですから。
ジュリアナ東京が東京の夜を彩ったのは、1991(平成3)年5月15日から1994(平成6)年8月31日までの3年あまりです。所在地は田町駅から徒歩6分ほどの東京ポートボウルが入居する、港区芝浦のビル1階でした。その広さは1200平方メートルで最大収容人数は2000人。お立ち台の高さは3mと巨大でした。

オープン前日に行われたマスコミと関係者向けの先行体験会の時点ですし詰め状態。招待状がないと入れないにもかかわらず、5000人も来場したのです。
バブル景気が崩壊し景気はすでに後退し始めていましたが、世の中はまだ「この好景気が終わるなんて本当?」という空気感。そこから3年間、世の中が次第に危機感を募らせていくなか、ジュリアナ東京はバブル景気終焉(しゅうえん)の「最後の花火」として輝いたのです。
手掛けたのは人材派遣大手の創業者
ジュリアナ東京は、商社の日商岩井(現・双日)とイギリスのレジャー企業・ウェンブリーが共同出資して誕生しました。当時は、イギリスのディスコチェーンがやってくるとオープン前から話題に。
日商岩井がディスコを手がけたのは、建物を所有していた東京倉庫運輸から倉庫の有効活用を相談されたのが始まりです。当時日商岩井の社員で、後に人材派遣大手のグッドウィル・グループを立ち上げる折口雅博氏はディスコを提案しました。

こうしてオープンしたジュリアナ東京ですが、そのイメージといえば、お立ち台とそこに集まったワンレン・ボディコンの女性たちですが、このディスコの魅力はそれだけではありません。
まず、ディスコとしてはとても敷居が低かったのです。当時、周辺には同じく収容人数2000人を誇るゴールド(港区海岸3)がありました。ゴールドは、後に「東京のクラブシーンの幕開け」とも呼ばれるように、コンセプトを明確に打ち出したディスコで、ファッションショーなどのイベントを開催するなど、非日常的な空間の演出が際立っていました。
それに対して、ジュリアナ東京はといえば「昔あった単なる大箱のイケイケディスコである。非常にわかりやすく、遊びやすい」(『週刊SPA!』1991年6月5日号)という、ノリだったのです。
ディスコが大衆化した70年代
日本の最初のディスコは、1968(昭和43)年に赤坂にできたムゲンです。
ムゲンは欧米で当時流行していたサイケデリックな色彩空間で、生バンドが演奏しゴーゴーガールが踊るというスポット。当時の常連客は川端康成、三島由紀夫、小澤征爾、加賀まりこなどだったといいますから、本当の意味で最先端の人でなければ足を踏み入れにくいスポットでした。

しかし、敷居の高いディスコ文化は次第に大衆化します。この年からフジテレビ系列でステップを教える『ディスコティック・ビートポップ』という番組が放送され、若者たちには「ディスコで踊りたい」という欲求が浸透していきます。
大衆化の先鞭をつけたのが、1971年に六本木にオープンしたメビウスです。この店の音楽は生バンドでなくレコード、当時としては画期的な出来事でした。これを契機に新宿や六本木には、ディスコが次々とオープンしていきます。
そして、1978年に映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が大ヒットしたことで、客層は10代まで広がります。法規制がまだ十分でなかった時代、彼らが深夜になってもディスコで踊っているのは日常風景でした。
黄金期は80年代後半
この光景は1980年代になると社会問題化し、次第に姿を消していきます。しかし、ディスコの灯は消えませんでした。
客層は大学生から20代へと変わり、客層のライフススタイルにあわせた店がオープンし、似た趣味の人が集うようになります。
サーファーやハマトラ(横浜が生んだアイビールックのくずしスタイル)ならキサナドゥ、クリスタル族(1980年発表の小説『なんとなく、クリスタル』に影響されたブランドに身を包んだ若者)はネペンタというジャンルごとの分化です。

1984年になると、麻布十番にオープンしたマハラジャが全国展開を開始。この80年代後半がディスコの黄金期といえます。ディスコの代名詞ともいえる黒服や服装チェックの登場も、この時期です。
この2度目のブームが去り、大箱のディスコが次々と閉店していく中、第3次ブームを巻き起こしたのがジュリアナ東京だったというわけです。
ジュリアナ東京が教えてくれたもの
既に景気後退期に入り、アフター5の楽しみがカラオケに移行するなか、ジュリアナ東京の成功はディスコをよく知る人からも驚きの目で見られていました。
前述のとおり、ジュリアナ東京の成功は敷居の低さによるもので、「目標は東京ディズニーランド」(『SAPIO』1992年2月27日号)。来る者を拒まない、大人のテーマパークのような運営を目指し、新たなブームを巻き起こしたのです。

間口の広さこそが成功に欠かせない要素――ジュリアナ東京はこのことをオープンから30年過ぎた今でも教えてくれています。
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