「銀座線の大減便」歴史振り返れば納得? 100年前から高頻度運転の理由 改良は継続
- 乗りものニュース |

8月のダイヤ改正で、東京メトロ銀座線の日中の本数が約3割削減されます。とはいえ、もともとが3分半に1本という高頻度運転であり、これはJR山手線を上回ります。なぜこのような運転形態なのでしょうか。同線の歴史からひも解きます。
輸送定員はJR山手線の約3分の1 ならば!
東京メトロが発表した異例の8月ダイヤ改正。その中でも、銀座線の日中の運転本数が毎時18本(3分30秒間隔)から12本(5分間隔)へ大幅に減便されるというニュースは多くの人を驚かせました。銀座縁は本2022年3月のダイヤ改正でも毎時20本(3分間隔)から18本に減便したばかりで、日中の運転本数は半年で4割も減ることになります。
東京メトロ銀座線の1000系電車(恵 知仁撮影)。
これについて東京メトロは「3月ダイヤ改正後のご利用状況を踏まえ、最近ではご利用状況に回復の兆しがあるものの、現時点では十分な回復が見込めないため、他社ダイヤに影響しない8月のダイヤ改正を実施し、ご利用状況に合わせて運転本数を見直すこととしました」と説明します。
東京を代表するもうひとつの路線であるJR山手線も、今年3月のダイヤ改正で平日は毎時15本(4分間隔)から毎時12本(5分間隔)へ減便されました。銀座線は6両編成定員610人、山手線は11両編成定員1724人と3倍近い開きがあり、銀座線は車両の小ささを補うために山手線以上の高頻度運転を行ってきた歴史があります。それがなぜ、山手線と同じ5分間隔まで減便せざるを得なかったのでしょうか。
前述の通り、銀座線の弱点は1両あたり全長約16m、幅約2.6mの小型車体に起因する定員の少なさです。これはJRが山手線などで用いる全長約20m、幅約3mと比べてもふた回りほど小さく、1両あたりの定員も20m車の3分の2程度となる約100人です。加えて地下鉄という性質上、ホームの延長に限りがあるため6両編成が最大です。
開業後長らく1両編成だった銀座線
なぜ小型の車両を用いることになったのか。銀座線の浅草~新橋間を開業した東京地下鉄道の社史には、全長17m、幅2.8mの省電(現JR)サイズでは閑散時間帯の輸送力が過剰で、全長11m、幅2.2mの路面電車サイズではラッシュ時間帯の輸送力が不足するとして、その中間程度の大きさの車両規格を採用したと記されています。その上で、基本的には輸送力は運転間隔の変更で調整し、それでも対応できない場合は車両を増結して補うという考え方を取りました。
リニューアル工事の際に露出した、銀座駅の鉄構框(てっこうかまち)の鉄骨。壁から天井にかけて伸びている。建設当時から変わっていないが、必要最低限でつくられたため小さい(2019年1月、枝久保達也撮影)。
ライバルの山手線は銀座線が開業した1927(昭和2)年12月時点、既に5両編成でラッシュ時4分間隔、日中8分間隔の運転を行っていました。当時から東京圏鉄道ネットワークの中心であった山手線とは異なり、上野~浅草間2.1kmをつないだに過ぎない銀座線の利用者はわずかなものでしたが、それでも1日を通じて単行(1両)による3分間隔運転が行われ、翌年4月からは利用者の増加に対応して2分30秒間隔に増発しています。
営団地下鉄が1981(昭和56)年に発行した『地下鉄運輸50年史』から銀座線のダイヤの変遷をたどってみると、1930年代初頭は利用が低迷したため5分間隔に変更しているものの、都心への延伸とともに2分30秒間隔の運転を再開しました。
銀座線は1934(昭和9)年に新橋まで開業しますが、この時もまだ輸送力に余裕があり、基本的には単行で、正月など繁忙期のみ2両編成にしていたようです。1939(昭和14)年に新橋~渋谷間を開業した東京高速鉄道との相互直通運転が始まると2分間隔運転となり、ラッシュ時は3両編成の列車も運転されるようになりました。
増加の一途をたどった利用者 新線で分散を
その後、戦争による車両・設備の荒廃で終戦前後には1~2両編成の10分間隔運転という惨状でしたが、1946(昭和21)年10月には3両編成5分間隔の運転まで回復。1948(昭和23)年5月には4分30秒、翌1949(昭和24)年3月には4分間隔、1955(昭和30)年5月には日中3分間隔(ラッシュ時は最短2分間隔)となります。
しかし、この頃の銀座線は4両編成以上に対応していないホームがいくつも残っていたため、運転間隔の短縮が限度を迎えると、輸送力の増強も頭打ちになってしまうという問題がありました。
そこで各駅のホーム延長工事を順次行い、1955年から朝ラッシュ時の一部列車を4両編成化、翌1956(昭和31)年には5両編成、1960(昭和35)年には6両編成の運転を開始します。全ての列車が6両化されたのは、ホーム延長工事が完了した1965(昭和40)年のことでした。
銀座線の輸送人員(1日平均)の推移から見てみると、1955年度の約36万人から1960年度に約51万人、1965年度に約70万人と右肩上がりに増えています。輸送力の増強は限界に達したものの利用者はさらに増加し、1970(昭和45)年度は約97万人、1980(昭和55)年度は約103万人、1988(昭和63)年度にはピークとなる約119万人に達しています。
この間、浅草方では都営浅草線、日比谷線、千代田線が、渋谷方では半蔵門線が開業しています。ちなみに半蔵門線は1989(平成元)年1月に三越前まで延伸しており、以降、利用者が転移したことで銀座線の利用者が減少に転じます。新線が増加する輸送需要を吸収することで、銀座線はギリギリの所で保たれていたのです。
新型コロナで浮き彫り 特異な銀座線の性質
そんな銀座線、コロナの影響を受けていない2018年度は1988年度に迫る約115万人の利用者がいましたが、2020年度には約67万人と、42%減少しています。東京メトロ9路線の合計では約758万人から約498万人と約34%の減少なので、銀座線はほかの路線より減少幅が大きいことが分かります。
赤坂見附駅ホームに設置された発車案内装置。列車がやって来るまでの残り時間が表示される(2018年8月、伊藤真悟撮影)。
もう少し分解してみると、2018年度から2020年度にかけて東京メトロの定期利用者は29%、定期外利用者は42%減少しました。銀座線は9路線の中で唯一定期利用率が5割を下回るので、定期外利用者の減少の影響を受けやすかったといえます。
東京メトロは「銀座線は都心部の主要な街を結んでおり、日中のご利用が多かったものの、テレワークを含めた働き方改革、インバウンド需要の低迷などの影響により、都心部の移動減少に大きく作用」しているとして、銀座線の路線の特性上、ラッシュ時間帯以上に日中の減少が著しいと説明します。
ただ、感染状況が比較的落ち着いていた2021年度第3四半期(10~12月)は、2019年度同期比で定期は31%減と横ばいなのに対し、定期外は21%減と回復傾向にあります。今後、東京メトロの見込みを超えて利用が戻った場合については、「混雑状況に応じた最適なダイヤ改正を適宜実施する予定です」としています。
言うまでもないことですが、東京メトロは銀座線を「諦めた」わけではなく、浅草駅で進めている折り返し設備と変電所の増設計画は計画通り進めるとのこと。銀座線の「伝統」に則れば輸送需要に応じて運転間隔は伸縮するはずです。利用者が元に戻って、再び高頻度運転を行う日が来ることを願ってやみません。
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