上京民が絶句「“短い”10両編成が参りま~す」 なぜ東京じゃ15両もフツーに? 列車の長さ、どう決まるのか
- 乗りものニュース |
首都圏では15両編成もの長い列車も一般的な存在。しかし、「短くして、よりたくさん走らせる方がよい」場面もあります。列車の長さはどのように決まってきたのでしょうか。鉄道業務の省力化が進むなか、新局面も見えてきています。
単純に「長い」電車、「併結して長い」電車も
「次の電車は“短い”10両編成でまいります」――地方から東京に出てきた際に駅で聞くと、ショックをうける放送かもしれません。「え、東京では10両って短いの? 地元じゃ4両とかが普通だけど!?」――
長い列車が渡り線をウネウネと走り抜けるのは、他の交通機関にない鉄道ならではの迫力ある風景ですが、列車の長さって、何で決まるのでしょうか。そこを探ってみましょう。
湘南新宿ラインの“短い”10両編成(画像:PIXTA)。
まず、日本で「長い列車」をおさらいします。新幹線で日本最長は東海道新幹線N700系列の16両編成404mです。両数では東北新幹線を走る「はやぶさ・こまち」「やまびこ・つばさ」の17両で、東北新幹線の10両編成に秋田方面の「こまち」、山形方面の「つばさ」それぞれ7両編成が併結されています。
行先が異なる2つの列車を併結する場合は、編成が長くなります。新幹線車両はユニットを組み搭載機器を車両で分担しているほか、先頭車両は騒音対策で流線形部分が長く定員も少ないため、1編成は極端に短くできません。このため、2つの編成をつなげると両数が多くなる傾向があります。
在来線でも併結列車は長くなりがちで、伊豆急下田発着と修善寺発着を併結する「踊り子」の14両(185系の時は15両)、「サンライズ瀬戸・出雲」の14両などがあります。
昭和の時代には、たとえば1961年に登場した気動車特急「白鳥」が6両編成×2の12両編成でした。この列車は大阪から北陸本線経由、直江津で上野行きと青森行きに分かれます。それぞれの編成にグリーン車と食堂車があり、併結時は食堂車の食べ比べもできたそうです。
一方、首都圏の東海道本線や宇都宮線といったJRの近郊路線は、15両編成が一般的です。途中で編成の併結・分割を行う場合はありますが、異なる行先の列車を併結しているという性質のものではありません。これには「汽車」時代からの歴史の積み重ねがあります。
「汽車」は長い/「電車」は短い
蒸気機関車の時代に1000人を運ぶ場合、10両1列車ならば機関車1台、機関士・機関助手1組で済むので、運行する側から見れば効率的です。ただ、これが1日あたり1000人ならば、1日1列車しか走らないことになります。東京―九州間のように長距離であればそれでも良いのですが、短い区間ならば移動時間よりも待ち時間が長くなり、利用者にとっては使いづらいです。
なので、短距離であれば待ち時間を短くするために、5分おき10分おきと多くの列車を走らせ、それで1列車あたりの乗車人数が少なくなれば、編成は短くなります。昔の人は長距離移動で編成が長い列車を「汽車」、短距離移動の路面電車などを「電車」と呼び分けていました。
こうして「汽車」と「電車」が別々な交通機関として役割を分担していたのですが、1904(明治37)年に革命が起きます。私鉄の甲武鉄道(現在のJR中央線)で「汽車」が走る線路に単行の「電車」も走り始めたのです。
元甲武鉄道のデ968、松本電気鉄道(現・アルピコ交通)ハニフ1。後に鉄道博物館へ移った。首都圏JR電車の元祖といえる車両(画像:PIXTA)。
この頃、甲武鉄道の乗車人員は伸び悩んでおり、その対策のためか、蒸気機関車の牽く列車を短くし、電車もあわせて単行で走らせ、列車を増発し利便性を高めます。当時は山手線も蒸気運転で長い列車でしたから、多数の短い列車が汽車の線路を行き交うのは異様な光景だったようです。
長距離列車が蒸気機関車だったのは、線路の電化に資金が必要だったことと、昔の電車は二軸車でスピードも出なかったこともありました。後に東海道本線が電化され、蒸気機関車が電気機関車に置き換わりましたが汽車時代と同様の運行でした。
汽車が「電車」に→車両が足りない!?
戦後、首都圏では通勤輸送がひっ迫し、戦時中に設計された63系電車が大量製造され、10両編成が各線で走ります。東海道本線もパンク寸前まで輸送が増えました。
他方、東京駅での折り返しに機関車を付け替える時間と設備が負担になり、1950年には長距離列車用の80系「湘南電車」が登場します。客車列車の置き換えで編成が長い上に荷物車も併結され、当時の電車では世界最長の16両編成で走りました。
こうして爆増する輸送に対し汽車時代の長い列車が電車に置き換えられ、通勤電車並みに本数が増えていきました。これが新幹線や寝台電車にも引き継がれます。
首都圏は爆増する需要のため、長い編成が数分おきに運転されましたが、地方都市では汽車が電車に置き換わっただけで、待ち時間は長いままでした。しかし、国鉄末期には甲武鉄道と同様の短編成化と増発が行われるようになります。
1982年、国鉄は広島圏で「ひろしまシティ電車」として短い4両編成の列車を大増発しました。これが成功したため、各地に広がるのですが、長い編成を分割すると運転台が付いている先頭車が足りなくなります。
そこで、中間車の端を切って新しく作った運転台を取り付ける「先頭車化改造」が盛んに行われるようになりました。近郊形電車だけでなく、寝台特急電車までもが近郊形化・先頭車化改造が行われ、編成が短くなっていきました。
北陸本線で走っていた419系電車は、寝台特急電車の583系を改造したもの。こうした改造で一般電車を捻出した(画像:PIXTA)。
こうして各地で列車の増発が行われたのですが、首都圏のうち貨物列車が走る区間については、信号の関係で増発も限界になりました。そこで、従来は10両編成だった4扉の通勤電車を15両にした常磐線快速が登場しました。扉の数も日本最多、240枚に上りました。
一方、東北では機関車の廃止により客車の廃止も進みます。これを置き換えたのが701系電車です。ロングシートで定員数が多く詰め込みが効くため、客車列車よりも編成が短くなり、それまでボックスシートでゆったりと通学していたものが、都会並みの詰め込みラッシュに近くなってしまいました。
ワンマン化すれば長くできない――は過去の話!
地方路線では利用減少に伴い、ワンマン化も進みました。特にバスと同様に車内で運賃収受をする場合は、運転士のいる先頭から下車する必要があります。そのため、編成は長くできなくなり1、2両が限界となりました。
車内で運賃収受をしない列車では、名鉄や西武などに4両ワンマン運転があります。近年ではホームドアや監視カメラの車内モニターといった安全装備を強化した都心型の長編成ワンマン運転も登場しました。もともとは地下鉄で始まりましたが、東急目黒線では増発分の運転士を捻出するためか、ワンマン化が行われました。
山手線もワンマン化の構想が発表されています。運行本数が多く乗務員も多い区間のワンマン化は人員の捻出には効果が大きいでしょう。
しかし、大量の旅客が利用する長編成のワンマン運転は、異常時の対応が難しくなります。事故や故障の対応、指令への連絡、多数の旅客の誘導を一人でこなすには対策も必要になり、なかなか簡単な事ではないと思われます。
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