「桜を見る会」でおなじみ? 巨大庭園「新宿御苑」はなぜ都会のど真ん中にあるのか
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三河譜代・内藤家の領地だった
ここ数日間、テレビニュースでは「桜を見る会」の話題が大にぎわいです。春に催される「桜を見る会」は、新宿御苑(新宿区内藤町)を会場にして開催されます。都民なら一度は耳にしたことがある新宿御苑ですが、頻繁に足を運ぶことはありません。ましてや、「桜を見る会」に列席したことがある人はほんの一握りでしょう。
東京都心部に広大な敷地を有しながら、その名前が示す通り新宿区に所在する新宿御苑は謎の多い空間です。新宿駅から徒歩で約10分。遠い距離ではありませんが、園内は駅の雑踏とは打って変わって静かでのんびりとした空気が流れています。また、広大な敷地内にはたくさんの緑があり、四季折々の花々が咲き乱れて美しい光景が来園者を楽しませています。
なぜ都会の真ん中にこのような自然豊かな新宿御苑があるのでしょうか? それを知るには、江戸時代にまで歴史を紐解かなければなりません。

江戸初期、新宿御苑の一帯は三河譜代(松平氏を主君として代々従った家臣)の内藤家の領地でした。徳川政権が江戸に幕府を構えると、内藤家の領地のうち半分ほどが民間に開放されます。同地は甲州街道筋にあたるため、民間に開放されたエリアは宿場町が整備されました。
明治に入ると、政府は同地に牧畜園芸の改良を目的にした内藤新宿試験場を開設。内藤新宿試験場は、明治新政府が掲げる殖産興業の牽引役を課されます。
内藤新宿試験場は、主に茶や桑といった農産品の研究に取り組んでいました。また、農機具の改良や製糸の品質工場といった研究も行っています。明治初期の日本の主要産業は農業ですから、内藤新宿試験場がそれらの生産力・品質を高めようとしていたことが窺えます。
ラクダやカンガルーが飼育されていた時代も
内藤新宿試験場が開設された頃の新宿界隈は、今のように多くの人でにぎわう繁華街ではありませんでした。文豪・芥川龍之介の父は新宿に牧場を開設し、多くの乳牛を飼育していたといわれます。それほど、明治期になっても新宿界隈はのどかな農村然とした場所でした。

1879(明治12)年、それまで内務省が管轄していた内藤新宿試験場は宮内省に移管。名称も「植物御苑」と改められました。宮内省が管轄したことからもわかるように、内藤新宿試験場は農業を研究するという役割から皇族・華族が利用する場へと目的を変遷させたのです。
移管された理由ははっきりしませんが、宮内省が研究開発した苗や種を配布すれば受け取った農家が感激して農作業に精を出す効果がある、研究によって得た知見から産業を興すには華族たちが有する莫大な資産が必要だったから、といった事情があったようです。
皇族・華族が農業を振興する場へと姿を変えましたが、植物御苑に一般人の立ち入りが厳しく禁じられることはありませんでした。宮内省は規則を設けて、一般人の見学も許可しています。
宮内省に移管された後、多くの華族たちが植物御苑内に移り住んで養蚕に携わりました。1880年には、華族有志によって華族養蚕社が設立されます。政府が想定していたように、新たな企業が勃興したのです。
華族たちの意気込みには熱烈なものがありましたが、養蚕事業は思うように進みません。10年後の1890(明治23)年には、貸与していた御苑内の土地を返還させられました。土地の一部を華族へと貸与している間、名称は「新宿御料地」に改称されています。
また、1881年には敷地内に鴨場が整備されました。鴨場は1903年に改修されて動物園へと姿を変えます。動物園ではラクダやカンガルーなどが飼育されていましたが、原則的に一般公開はされませんでした。ここで繁殖された動物のなかには、上野動物園に引き取られる動物もいました。
2001年、環境省による所管で一変
こうした来歴を経てきた新宿御苑が、今のように庭園化するきっかけをつくったのは1898年に新宿植物御苑掛長に就任した福羽逸人(ふくば はやと)です。福羽は、フランスの園芸学校教授に庭園の設計を依頼。それらの図面をベースにして、福羽は5年にわたる庭園改修に着手しました。
福羽は鴨場の池を日本庭園に、田畑を西洋庭園へと改修しました。現在にいたる新宿御苑の原型は、福羽によって作られていったのです。
庭園整備によって、四季折々の花木が植えられました。綺麗な庭園が整ったこともあり、1917(大正6)年から「桜を見る会」の前身にあたる「観桜会」の会場として使用されるようになります。それまでの観桜会は、浜離宮庭園で実施されていました。また、1929(昭和4)年からは赤坂離宮で開催されていた観菊会も新宿御苑に舞台を移しています。
しかし、太平洋戦争の開戦後は国内の食料不足を補うために、庭園は農地へと姿を変えます。終戦後、GHQの指示もあり所管は宮内省から大蔵省へ。そして、国民公園と呼ばれて市民憩いの場になりました。
その後、1950年には厚生省に所管が移り、2001(平成13)年の省庁再編で環境省が所管することになりました。新宿御苑は紆余曲折を経ながら、奇跡的にも都会のオアシスになったのです。
「桜を見る会」は、内閣総理大臣主催として1951(昭和26)年に復活。翌年には、「菊を見る会」も復活しています。
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