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覚えてる?「シュプール号」 スキー場へ直結した国鉄~JRの臨時列車 なぜ消滅したのか

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  • 乗りものニュース
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国鉄時代末期、スキーヤー向け臨時列車「シュプール号」が誕生しました。第3次スキーブームを支え若者たちにも支持されましたが、その後時代の流れとともに姿を消しています。背景には、ブーム沈静化に加え、様々な理由が浮かび上がります。

スキー列車と言えば「シュプール号」だった

 2021年1月22日、栃木県日光市に本社を置く第三セクターの野岩鉄道が、公式Twitterで次のようにつぶやきました。

「ムーンライトながら」の廃止で座席夜行が消滅…と思われている皆様。
何 か お 忘 れ で は な い で し ょ う か ?
#尾瀬夜行
#スノーパル
#夜行列車

 JRで最後まで残っていた臨時夜行快速「ムーンライトながら」(東京~大垣)の運転終了がこの日に告知されました。思い出話などでネットが沸くなかで、野岩鉄道の投稿は「座席夜行はまだあるよ」というアピールでした。それは東武鉄道の浅草駅(東京都台東区)から野岩鉄道の会津高原尾瀬口駅(福島県南会津町)まで片道のみ運行されている臨時夜行列車です。夏は登山客向けの「尾瀬夜行」、冬はスキー客向けの「スノーパル」として走ります。季節によって対象客は異なりますが、運行時刻はほぼ同じです。

Large 210126 spur 01都市部の駅からスキー場最寄り駅などへ直通運転された「シュプール号」。写真は急行「シュプール白馬」(画像:写真AC)。

 スキー客向けの臨時列車はJR各社も2005(平成17)年まで「シュプール号」という名前で運行していました。「シュプール」という言葉は「スキーやそりの滑った跡」という意味です。青函トンネルと瀬戸大橋が開通したときの内容を収録した『時刻表完全復刻版』1988年3月号を開くと、次のような「シュプール号」が見つかります(注記がないものは、往路が夜行、復路が昼行)。

●首都圏発
・急行「シュプール白馬」千葉~信濃森上
・急行「シュプール信越」東京・新宿・上野~妙高高原、信越本線経由
・急行「シュプール上越」大船~小出
・急行「シュプール蔵王」横浜~山形
・急行「シュプールレインボー蔵王」上野~山形
・急行「シュプール猪苗代」上野~猪苗代
●名古屋発
・急行「シュプールユーロ赤倉」名古屋~妙高高原
・急行「シュプールつがいけ」名古屋~信濃森上
●京阪神発
・急行「シュプール’88(妙高・志賀)号」神戸~長野、北陸本線経由、復路も夜行
・急行「シュプール’88(白馬・栂池)号」西明石~南小谷・白馬、北陸本線経由、復路も夜行

 3月号の時刻表ですから、雪が残る地域も少ないはず。それでもこれだけの「シュプール号」が走っていました。このほか、後年には急行「シュプール草津・万座」(大船~万座・鹿沢口)、急行「シュプール野沢・苗場」(神戸→越後湯沢)、特急「シュプールサンダーバード」(西明石~黒姫)などがありました。

「シュプール号」の強みとは

 シュプール号の列車種別は基本的に急行でした。当時は、同じ路線を「アルプス」「妙高」「きたぐに」といった夜行急行も走っていましたが、スキーシーズンの乗客増をシュプール号が引き受けていたのです。しかもシュプール号の車両はワンランク上の特急用車両が使われました。料金も宿泊施設を組み合わせて格安に設定したため、スキー愛好家にとっておトク感があり、大人気だったようです。

Large 210126 spur 02急行「シュプール白馬・栂池」として走るキハ181系気動車(左)(画像:写真AC)。

 座席列車でもスキーバスのような窮屈さはなく、渋滞もない。マイカーで慣れない雪道をドライブする必要もありません。ビールを飲んで一眠りして、目覚めれば雪国です。到着駅からスキー場に連絡するバスも用意されました。

 鉄道趣味的には使用車両が注目されました。特急用車両だけではなく、なかには団体列車などに使われるジョイフルトレインのキハ65系「エーデル」編成、キハ80系「リゾートライナー」、12系客車「ユーロライナー」、14系客車「スーパーエクスプレスレインボー」なども投入されました。希少な例ですが寝台車を使った列車もあり、583系電車と485系電車の混結編成という珍しい運用もありました。

 シュプール号はJR各社の境界を越えて運行されました。またJR各社間で「シュプール」という言葉が共通で使われました。いまとなっては珍しい列車です。その理由は国鉄時代に団体ツアー商品として開発されたからでした。シュプール号は1987(昭和62)年の国鉄分割民営化を経て、JR各社に引き継がれます。

第3次スキーブームが到来

 シュプール号誕生の背景は第3次スキーブームです。スキーブームは高度経済成長期以降、観光・レジャーが旺盛となった1960年代が第1次、札幌オリンピックが開催された1972(昭和47)年頃が第2次、そしてバブル経済期の1980年代後半が第3次にあたります。第3次ブームの象徴として、映画『私をスキーに連れてって』があります。この映画は1987年に公開されました。撮影は1986(昭和61)年のシーズンで、シュプール号の運行開始と一致します。

 第3次ブームは『私をスキーに連れてって』がきっかけと認知されています。しかし公開前からシュプール号の運行が始まっていましたから、ブームのきっかけはもう少し早かったと言えます。この時期はバブル経済だけではなく、完全週休二日制の普及とそれに伴うレジャー産業の発展がありました。

 並行してバブル経済においては、地方の安い土地にレジャー施設を投入し、付加価値を与えて集客し利益を上げるというビジネスモデルが旺盛でした。山林を切り開いて作られたゴルフ場やスキー場などです。そして空前のスキーブームとバブル景気は、千葉県船橋市に全天候型スキー場「ららぽーとスキードームSSAWS」を誕生させたほどでした。

Large 210126 spur 03「シュプール号」にも使われたことのある583系電車(2014年、杉山淳一撮影)。

 1990年代初期にバブル景気は落ち着きます。しかし、今度は円高傾向で海外のスキー用品が安く手に入るようになり、おしゃれなグッズ、スキーウエアが流行しました。これはスキーブームを延命する効果がありました。

『私をスキーに連れてって』は、第3次ブームのきっかけではなく、ブームを急加速させる映画だったと言えます。この映画では「4輪駆動車でスキー場へドライブ」という楽しみ方を紹介しており、列車とは縁がありません。それでもスキー人口の増加によってシュプール号の人気も高まりました。

ブーム沈静化、車両老朽化など逆風だらけに

 しかし、バブル経済崩壊とともにスキーブームは沈静化します。1998(平成10)年の長野オリンピックに合わせて高速道路が延伸し、除雪技術の進歩も手伝って道路アクセスが向上したことで、より格安なスキーバスツアーが台頭します。

 一方、鉄道に目を戻すと1990(平成2)年に上越新幹線で直行できるガーラ湯沢スキー場(新潟県湯沢町)が開業。さらに1997(平成9)年には北陸新幹線(長野新幹線)が開通したこともあり、JR東日本は「新幹線でスキー」というプロモーションを始めました。

 このような時代背景と車両の老朽化もあって、シュプール号は次々と姿を消していきました。最後まで運行した会社はJR西日本でした。急行「シュプール」は583系寝台電車、特急「シュプール雷鳥信越」は485系電車が起用されました。どちらも2005(平成17)年まで運行されました。

 もし第4次スキーブームが到来したら、鉄道にはどんな影響があるでしょうか。楽しい列車が増えるきっかけになればいいな、と思います。

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