陸の巨砲と「大和」の奇妙な符合 WW2ドイツは「カール自走砲」でなにをしたかった?
- 乗りものニュース |

戦争は戦術や兵器の研究開発を加速し、大きな変革をもたらしうるものですが、それに取り残された兵器は不遇な末路を辿ることになります。戦艦「大和」しかり。そして陸上でも、古い思想で作られたドイツの巨砲が時代に取り残されました。
生まれた時点で時代遅れ 陸の「大艦巨砲主義」
第2次世界大戦においては、それまでの常識が覆されるパラダイムシフトが様々な分野で見られました。そのひとつに大艦巨砲主義の陳腐化が挙げられますが、これを彷彿とさせる動きは陸上でも見られ、そしてその動きに翻弄されたのが「カール自走砲」でしょう。
カール自走砲の試作車または生産1号車。2号車以降と転輪の構造が異なっている(画像:アメリカ公文書館)。
「大艦巨砲主義」の極地ともいえる戦艦「大和」の主砲口径が46cmだったことは有名です。艦載砲としては世界一の口径であり、1460kgの砲弾を最大で42km先まで飛ばす威力がありました。こうした巨砲は移動効率から艦載砲として使われることが多かったのですが、「大和」より大きな口径の主砲を搭載し地上で使おうとした戦闘車両があります。それが前述の、ドイツのカール自走砲です。
外見は、大きな樽のような砲身を載せ、履帯(いわゆるキャタピラ)を履いており、不思議な形の車両ですが戦車ではありません。自走できる大砲ということで「自走砲」と呼ばれます。
カール自走砲の主砲口径は60cmと「大和」より大きく、同時期のティーガーII戦車の主砲口径が8.8cmだったことと比べると破格の大きさですが、砲身の長さは極端に短いものでした。撃ち出す砲弾は最大で2170kg、炸薬289kgで、2.5mのコンクリート壁を貫通できる威力がありました。しかし射程は4320mと極めて短く、初速は220m/秒(大和は780m/秒)で、巨大な砲弾を高角度で打ち出す「臼砲」と呼ばれる大砲です。
自重は120tとタイガーI戦車2台分よりも重く、最高速度は10km/h、燃費はとても悪くて航続距離は60kmという体でしたので、自走できるとは言うものの辛うじて位置を変えられる程度の機動性でした。
実際の移動は、専用貨車に組み込んで鉄道で行われました。また鉄道の無いところでは、分解されて専用トレーラーで運ばれましたが、分解と組立てには専用の35tクレーンが必要でした。
どうしてこのような兵器が生まれたのでしょうか。
カール自走砲の発想は旧来の「攻城戦」
カール自走砲は1935(昭和10)年ごろから対フランス戦に備えて、国境地帯にフランスが建設した要塞群(マジノ線)を攻撃するために研究が始まりました。
1937(昭和12)年に基本設計案ができ上がり、主砲の口径60cmという大きさはマジノ線の要塞のコンクリートの厚さなどを研究して決定されます。堅固に守られた要塞を大きな火砲で攻撃して無力化しようというのは、第1次世界大戦型の、攻城戦の発想です。
先に述べたように、初速が遅く命中精度も良くありませんが、目標は動かない要塞であまり問題ではありませんでした。1940(昭和15)年11月から翌年8月までに、試作車を含めて7両が製造されます。
しかしその巨大兵器を無用の長物にしたのは、ほかならぬドイツ軍自身でした。
IV号戦車の車体を改造した弾薬運搬車から弾薬を補給するデモンストレーションの様子(画像:アメリカ公文書館)。
対フランス戦は、カール自走砲が完成する前の1940年5月に始まり、6月25日には終結してしまいます。ドイツ軍の戦法はマジノ線を事実上無視して、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクに迂回し、要塞群の無いアルデンヌ地方から空軍の支援を受けた戦車中心の機甲部隊でフランス国境を突破する、いわゆる「電撃戦」でした。このあたりのいきさつは、戦艦「大和」を造りながら空母機動部隊で真珠湾を攻撃し、大艦巨砲主義を否定した日本海軍を彷彿とさせます。
下るパリ砲撃命令! 時代遅れの巨砲が戦ったヨーロッパ戦線
登場からいきなり時代に取り残された感のあるカール自走砲でしたが、2両から3両で1個中隊、それを2個集めて重砲兵大隊を編成して東部戦線へ送られ、1941(昭和16)年6月のソ連侵攻(バルバロッサ作戦)で実戦デビューします。セバストポリ要塞攻撃では本領を発揮し、強固な砲台を破壊する戦果も挙げています。
しかし大きく重く使い勝手が悪かったため、戦車が走り回るような戦線の動きについていけません。巨大な60cm砲が火を噴く機会はほとんどありませんでした。このあたりも戦艦「大和」に符合するものがあります。
カール自走砲の断面図(遠藤 慧作図)。
1944(昭和19)年8月、ドイツ軍は劣勢となり占領したフランスから撤退することになります。『パリは燃えているか』という映画にも描かれたように、ヒトラーは撤退する際、パリの破壊命令を出しました。
その時、ポーランドのワルシャワにいたカール自走砲を運用する砲兵部隊にも、パリ破壊のために移動が命ぜられますが、先にドイツ占領軍が降伏したため、華の都に2000kgの砲弾が降り注ぐことはありませんでした。一方ポーランドでは1944年6月、「ワルシャワ蜂起」が起こり、カール自走砲は8月に編成された第638重砲大隊(自走)に配備され弾薬250発を受領、ワルシャワ市街を砲撃しています。
このあともカール自走砲は、時代遅れの巨大兵器ではありながらも、終戦の年まで戦い続けます。
最後の発砲は自国の鉄道橋に向けて
ドイツの敗色濃厚となった1945(昭和20)年3月11日には、連合軍の進撃を阻止するため、ライン河に架かるルーデンドルフ橋を破壊する砲撃を行います。14発発射しましたが、命中弾を与えることはできませんでした。3月22日の公式記録によると、カール自走砲は待機状態で西部戦線に2両、ドイツに2両、修理準備保管状態が3両となっており、7両すべてが生き残っていましたが、実際に発砲したのは3月11日が最後のようです。
バルバロッサ作戦で撮影された砲撃準備中の3号車。操作には21名が必要だった(画像:アメリカ公文書館)。
終戦間際になると放棄、処分され、アメリカ軍とソ連軍が鹵獲します。アメリカやソ連で試験されますが、さほど関心を引くことはなかったようです。その後、行方不明となりますが、ソ連のクビンカ戦車博物館に現存していることが1990年代、ソ連崩壊直前に明らかになりました。
2020年現在、クビンカ戦車博物館は一般公開されており、ドイツが作り上げたもうひとつの超重量兵器で幻ともいわれていた超重戦車「マウス」と並んで展示されています。展示施設の改装工事に際し、両車とも重すぎて簡単には動かすことができない困りものだったそうで、21世紀でも巨大兵器の特徴を存分に主張しています。
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