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導入の熱意が警察・国を動かした! 東久留米の激レア「赤バイ」阪神・淡路大震災で活躍し全国へ

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東京消防庁の東久留米消防署が平成初頭に導入した赤バイ。この車両は日本の消防史に重要な足跡を記した存在でした。画期的だったオリジナル赤バイの経緯と、阪神淡路大震災での活躍をひも解きます。

独自性が強かった東久留米の消防体制

 1995(平成7)年1月17日に起きた阪神・淡路大震災では、数多くの建物が倒壊・炎上したほか、高速道路の橋脚なども倒壊したことで、消防車などの緊急車両が被災現場へたどり着けないといった事案が多々発生しました。

Large figure1 gallery16東京消防庁の消防活動用二輪車「クイックアタッカー」(乗りものニュース編集部撮影)。

 そのようななか、一躍注目を集めたのがバイクです。バイクは小回りが利き機動性も高いため、自動車が通れないような小道でも走ることができます。そうした経緯から、消防でもその後、初期消火や人命救助、災害現場の情報収集用として導入を促進、いわゆる「赤バイ」として全国の消防本部に配備されています。

 この赤バイの普及に、東京のいち消防署が大きく関係していたのはご存じでしょうか。その消防署とは、東京都北西部に位置する東久留米市を管轄区域として受け持つ東京消防庁の東久留米消防署です。同署では、阪神・淡路大震災の発災以前から赤バイを運用していました。その導入に関する法改正が、のちの赤バイ普及の一助となったのです。

 東久留米消防署は、いまでこそ東京消防庁第八消防方面本部に属していますが、2009(平成21)年度末までは東久留米市消防本部として独立した別組織でした。そのため、昭和の時代には自前でホンダドリームCB350の二輪消防車、通称「赤バイ」を整備し運用していました。

 この赤バイは1980年代前半に運用を終了しますが、東久留米市消防本部は、ほどなくして新たな二輪車を導入し、赤バイを復活させます。それが、CB350が姿を消してから約10年後の1993(平成5)年3月に、全国で初めて運用を開始した「救急用自動二輪車」でした。

誕生のキッカケは旅行で訪れたロンドンの光景

 東久留米市消防本部(当時)が平成に入ってから導入した二輪車は、消防用ではなく救命用でした。導入のきっかけは、当時の東久留米市消防本部の千葉政美(ちばまさみ)消防長が、プライベートでヨーロッパ旅行に出かけた際に、ロンドンで救急オートバイを見たのが発端だったそうです。

Large figure2 gallery17東久留米市消防本部(当時)が1993年に導入した救急用自動二輪車、通称「パルペア」。スズキのGS400Eがベース(画像:東京消防庁東久留米消防署)。

 当時の東久留米市は急速な都市化により道路整備が遅れたことで、一方通行や狭い道が多く、数少ない大通りは渋滞が深刻でした。そこで、ヨーロッパで見たような緊急用二輪車を運用することができれば、救命効果を高めることができると千葉消防長は考えます。

 こうして救急用の自動二輪車を導入しようという機運が高まります。ただ先行事例のない取り組みだったため、いろいろ苦労があった模様です。当初は、救急車と同じ枠組みとなる救急バイクとして導入しようと動いたものの、警察から「救急車は患者搬送ができるからこそ緊急車両として認められる。バイクでは患者搬送ができないから認めることは難しい」と物言いがついたとか。

 そこで、警視庁と話し合った結果、「消防活動用二輪車」、すなわち「赤バイ」なら前例があるから認可できるといわれます。これを受け、火災などの災害が発生した場合に即応可能な緊急車両として導入することとなり、当初は「消防・救急オートバイ」として調達されました。

 このバイクは消防用として消火器なども携行していたとのこと。ただ、実際に乗るのは救急救命士だったそうです。

全国から注目集めて法律も改正へ

 この東久留米市の取り組みは、全国から注目を集めたことで、国が動きます。自治省(現、総務省)消防庁が道路交通法の改正を警察庁に申し入れたことで、緊急自動車の規定に救急用オートバイが付加されることになり、晴れて正式に救急用自動二輪車として運用できるようになります。

Large figure3 gallery18阪神・淡路大震災で被災地を走る東久留米市消防本部(当時)の救急用自動二輪車「パルペア」(画像:東京消防庁東久留米消防署)。

 東久留米の救急用自動二輪車には、「パルペア(PAL2)」という愛称が付けられ、最終的に4台(寄贈2台、市費調達2台)が整備されています。ちなみにこの愛称、パル(PAL)が「Paramedic Auto-Liner」の略で、後ろ半分のペア(2)というのは、常に2台一組で行動するという意味だといいます。

 運用は救急車隊が担当。5名体制で、出動がかかった場合、まず救急救命士2名がオートバイで目的地まで先発。その後、救急車に3名(これは救急救命士資格のない隊員でも可)が乗車して後着。そこで先発の救急救命士2名が救急車の運転士とともに病院へ向かう一方、後着した隊員2名はオートバイを回収し、消防署へ戻るという運用形態だったそうです。

 ただ、当時を知る人の話によると、オートバイは目立たないからか、緊急走行しても救急車や消防車と異なり一般車が停まってくれないことが多々あったといいます。そういったこともあり、事故などを予防する観点から新青梅街道などの幹線道路を走ることはしなかったと述べていました。

 そして、さらに東久留米市の救急用自動二輪車が全国の消防から注目を集めることになったのが、運用開始の2年後に起きた阪神・淡路大震災でした。

阪神・淡路大震災での活動が全国的な赤バイ復活へ

 1995(平成7)年1月17日に起きた阪神・淡路大震災に、東久留米市消防本部(当時)も応援部隊を派遣します。このとき白羽の矢が立ったのが「パルペア」こと救急用自動二輪車でした。

Large figure4 gallery19北上地区消防組合消防本部が導入したスクータータイプの消防活動用二輪車(画像:総務省消防庁)。

 派遣は2月上旬、すでにがれきなどは撤去されており、東久留米から派遣された救急用自動二輪車は神戸市の東灘保健所を拠点に、市内各地の救護所へ医薬品搬送を担ったそうです。記録には2月2日から2月11日までの10日間、多い日は50数回もの搬送要請に応えたと明記されていました。

 この現地での救急用自動二輪車の活躍が、新聞をはじめとした各メディアで報じられたことにより、その後の「赤バイ」の再登場につながったようです。

 ただ、東久留米の救急用自動二輪車は、2003(平成15)年に情報収集用へ運用が変更されています。理由は市内の道路事情が改善されたことで、救急車と二輪車とで現場到着までの時間がほぼ変わらなくなったことなどにより、二輪車の出動が減ったからでした。

 そして2010(平成22)年3月31日、東久留米市の消防業務が東京消防庁へ移管(委託)されたことに伴い、部隊編成が変更されることからスズキGS400Eベースの救急用自動二輪車「パルペア」は運用を終了、退役しています。

 話によると、まだ使えたGS400EはNPO法人「救難バイク協会」へ寄贈されるなどしたため、現在は写真しか残っていません。しかし、日本初の救急用オートバイとして導入され、阪神淡路大震災などで重用されたことが、その後の消防活動二輪車を普及させた一助となっていることは間違いないでしょう。

 ちなみに、消防活動二輪車というと、全国的にはオフロードタイプが圧倒的に多いものの、一部の消防組織ではスクータータイプやロードスポーツタイプなども調達・運用されています。

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