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バブル期は「発掘調査」バイトが多かった! 常に人手不足だった2つの遺跡とは

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  • 2021年10月23日

「ザ・発掘調査」は全体の1%だけ

 景気がよく、求人雑誌も分厚かったバブル期(1980年代後半~1990年代初頭)には多くの場所が再開発され、遺跡の発掘調査が行われました。そのため、発掘調査のアルバイトに精を出した人も多かったようです。今回はそんな発掘調査の実態について、当時を知る人に話を聞きました。

※ ※ ※

 遺跡の発掘といえば、

・土器などについた土を刷毛(はけ)で払うシーンを想像する人
・インディ・ジョーンズのような冒険を思い出す人
・エジプトのミイラに思いをはせる人

などさまざまでしょう。しかし、実際の遺跡発掘は甘くありません。ロマンが全くないとはいわないものの、それとは「別次元の現実」と相対しながら作業をすることがほとんどです。

大橋遺跡第2次調査地点の住居跡(画像:目黒区)

 発掘調査は日本中のどこかで必ず行われており、年数千件にも上ります。発掘調査にはいくつかの種類があり、なかでも研究者のグループが任意の場所を発掘したり、行政機関が保存整備のために指定史跡を発掘したりすることは「学術調査」と呼ばれます。

 しかし現状は、学術調査にかける資金が足りずなかなか行えません。それではなぜ発掘しているかといえば、法律で建物や道路を作る際、その前に何があったかを調べておくことが法律で決められているからです。これが「行政発掘」と呼ばれる調査で、日本における発掘調査の実に99%を占めるともいわれています。

 学術調査にって発掘された遺跡は調査後に埋め戻されますが、行政発掘は遺跡を保存せず、破壊して新たな建物を建てることがほとんどです。そのため、発掘は「壊すため」の発掘であることが多いのです(よほど貴重な遺跡であることが判明した場合には、地権者等との話し合いで保存されることもあります)。

品川駅改良工事中に発見された遺跡

品川駅改良工事中に発見された遺跡

 貴重な遺跡が破壊された例として知られているのが、奈良県の長屋王邸宅跡です。

 たくさんの木簡(文字などを書き記した木の札)などが出土した貴重な遺跡でしたが、保存されず百貨店がオープンしました。しかし、皮肉にもその百貨店も、後にできたスーパーもすでに撤退。そのときに遺跡を保存しておけば……と悔やまれます。

高輪築堤(画像:港区)

 最近の例でいえば、2019年4月、品川駅改良工事中に発見された石垣があります。これは高輪築堤跡と呼ばれるもので、1872(明治5)年に日本初の鉄道が開業した際に、海上に線路を敷設するために築かれた鉄道構造物。当時の錦絵(多色刷りの浮世絵版画)にも描かれています。

 これは高輪ゲートウェイ駅付近でも露出し、2021年には菅義偉総理(当時)が視察に訪れ、保存が予定されています。しかし、これはまれなケースです。

 高輪築堤が錦絵で知られていたように、古文書や古記録、地域の伝承などにより、またなんらかの力によって地層がかき混ぜられたことで遺物が表面に現れることにより、発掘前からその土地に遺跡があるかどうかはある程度わかります。

 そうして行政発掘は開始され、どんな遺構があり、どんな遺物が出土したかの記録である「調査報告書」を作成するまでが一連の仕事です。

発掘現場がたくさんあったバブル期

 バブル期にはいわゆる「ハコもの行政」や、広大な土地の再開発があちこちで進められました。特に東京に多かったことはいうまでもありません。

 当時は東京じゅうのあちこちで発掘調査が急ピッチで進められていました。東京の前身は江戸のため、大名屋敷が多く、当時の大名たちが使ったであろう陶磁器の破片が数多く出土しました。

発掘現場のイメージ(画像:写真AC)

 気が遠くなるほどの量ですが、もちろん捨てるわけにはいきません。調査報告書に掲載するために大きさをはかったり、どこが産地かを調べたりせねばならないのです。多くのアルバイト学生たちが、来る日も来る日も作業をしていました。

考古学専攻でも就職先に事欠かなかった時代

考古学専攻でも就職先に事欠かなかった時代

 山川さん(仮名)もそのうちのひとりでした。「考古学専攻だったサークルの友人に誘われ、ロマンのあるアルバイトだと思って参加したら、全然違っていました」と話します。

「よく見る刷毛で遺物の土をはらうシーンにたどり着くまでには、地表面を職人さんがパワーショベルで剥がしたり、少しずつ土を削るように掘ったりの連続です。遺跡の存在がわかっていても、自分の担当する箇所から遺物が出るかどうかもわかりませんし、学生以外の威勢のいいアルバイトのお兄さんや職人のおじさんに叱られたり、夏は暑く冬は寒かったり。学生だったから楽しかったけれど、キツい肉体作業でした」(山川さん)

発掘現場のイメージ(画像:写真AC)

 それでも世の中はバブルで明るく、のんきだったといいます。

「考古学専攻だと就職先が少ないんじゃないか、と友人に聞いたことがありますが、『現場がある限りは食いっぱぐれないよ』といっていましたね。どこもいつも人出不足でしたから、たしかにそうした雰囲気はありました」

と山川さん。

 令和のいまより発掘現場が豊富にあった当時。そんななか、いつも人手不足だった現場、いつも口コミで学生を探していた現場がふたつあったそうです。

 さて、いったいどこなのでしょうか。

高層ビル群が更地だった「汐留遺跡」

 いつも人手不足だった現場、その1は「汐留遺跡」です。

 汐留は東京都港区にかつてあった地名で、住所表記としての汐留は現在存在していません。いまでは都内最大規模の再開発都市「汐留シオサイト」として有名です。ここには電通本社ビルや日本テレビタワー、パナソニック電工の東京本社のある汐留シティセンタービルなどが所在。

 江戸時代以前には海辺の湿地帯だった汐留ですが、江戸幕府が開かれた後は、武家屋敷となりました。明治以降は政府に接収され、1872年に日本初の鉄道が開通した際、起点となる新橋駅ができたのがこの地です。それからしばらくのあいだ、東京の玄関口として栄えました。

1980年頃の国鉄「汐留駅」(画像:国土地理院)

 1914(大正3)年以降は東京駅が開通したために汐留駅と改称され、貨物駅となります。しかし自動車が普及した戦後は次第に使われる機会が減り、1986(昭和61)年に汐留駅は廃止。広大な空き地が残されることになります。

 その広さは実に31ha。長い間放置されたのち、ようやく1995(平成7)年に東京都と民間の共同で都市の再開発が始まりました。

旧新橋駅の遺構も発見

旧新橋駅の遺構も発見

 汐留遺跡は1992(平成4)年から2001年まで発掘調査が行われています。旧新橋駅の遺構を始め、仙台藩上屋敷跡の遺跡など、多くの遺跡や遺物が発見されました。

 新橋駅の遺構ということで、横浜名物・崎陽軒のシウマイに以前ついていた醤油入れ「ひょうちゃん」が「出土」したという話もあったと、山川さんは教えてくれました。

「とにかく広いし、ものはたくさん出てくるわで、人手が本当に必要だったようです。でも、そんな大変なところで作業するのは勇気がいります。当時はほかにもたくさん現場がありましたから、僕はいきませんでした」(山川さん)

汐留シオサイト(画像:国土地理院)

 再開発のための区画整理がようやく終わり、汐留シオサイトの愛称がついたのが2002年。その後数年で高層ビルも相次ぎ開業します。地域の端には旧新橋停車場駅舎も復元。汽笛一声、鉄道が横浜へ向けて走っていた当時を思い出させ、ノスタルジーに浸ることができます。

「でも、ここが遺跡だったと思い出す人は少ないでしょうね。たくさんの人が流した汗の後に高層ビルが立ち並んでいるんですよね」

と山川さんは話します。

大橋ジャンクションは元「大橋遺跡」

 いつも人手不足だった現場、その2は「大橋遺跡」です。

 大橋は目黒区大橋。現在は山手トンネルと首都高速3号渋谷線を結ぶ、ループ型の「大橋ジャンクション」になっている場所です。

 かつてここには、1969(昭和41)年まで東急玉川線(いわゆる「玉電」)の大橋車庫が設置されており、東急玉川線の廃止後は東急バス大橋営業所となっていました。しかし、それも2002(平成14)年に廃止されています。

1963年頃の現「大橋ジャンクション」の様子(画像:国土地理院)

 首都高の入り口として、渋滞を緩和させるために建設が計画された大橋ジャンクションですが、建設敷地は約2.5haという広さが必要なため、近隣住民の移転などもかんがみて、マンションなども含む街区としての再開発が計画されたのです。そして、発掘作業も開始。

 大橋遺跡は目黒川の左岸の台地上にあり、旧石器時代の石器や縄文時代中期の竪穴式住居跡が98軒発見されるなど、古い時代から人間が活動した痕跡が見られます。また、平安時代の火葬墓なども発見されました。

2007年に発行された発掘調査報告書

2007年に発行された発掘調査報告書

 大橋ジャンクションは、2015年3月の中央環状品川線(大井JCT-大橋JCT間)の開通にともなって全面的な供用が開始されましたが、実は1971(昭和46)年から部分的に開通していました。そのため、当時から少しずつ発掘は進められていました。

 それが本格的になったのが1990年代初めのこと。東京都埋蔵文化財センター(多摩市落合)が最後の発掘調査報告書「大橋遺跡ー第4次調査ー」を発行し終えたのは2007(平成19)年になってからでした。

大橋遺跡の位置図(画像:目黒区)

 かくも長きにわたる調査、広さですからこちらも人手が足りなかったようです。

「僕は自宅から遠かったので参加しませんでしたが、ここで発掘をしたという人を何人か知っています。たまに車で通ることがありますが、グルグルしてすごいものを造ったなと感動しますね。ここに昔、縄文人が暮らしていたんですよね。考えればそれもロマンといるかもしれません」(山川さん)

 発掘をしていれば食いっぱぐれないどころか、人手が足りない発掘現場も珍しくなかったバブル期。大学など、グループの違いによって担当する遺跡に偏りがあったものの、大都会で作業着を着て発掘する人たちも、どこかイケイケだったあの時代。

 行政発掘がほとんどを占める日本では「成長なくして調査なし」なのか、以前のように発掘調査の人手が足りないという話はないようです。

「あそこもここも掘っていた」という山川さんですが、2021年現在、考古学とは関係のない仕事に就いています。「バブルが崩壊するのは怖いけれど、またあんなふうに発掘のアルバイトが身近な時代が来るのは面白いかも」と思うそうです。

 思い描くようなロマンはないかもしれませんが、東京のそこかしこはだいたい何かの遺跡です。あなたの勤め先や自宅のある場所にも、かつて住んでいた人たち、また、その痕跡を探していた人たちがいたのかもしれません。

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