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ナチス・ドイツに実在した「空軍なのに戦車を使う部隊」なぜ? 独裁政権ナンバー2が “私兵”導入の経緯とは

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  • 乗りものニュース
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ナチス・ドイツ時代、実質的にアドルフ・ヒトラー私兵だったSS(親衛隊)は有名です。ただナチスでは珍しいことに、有力幹部だった人物も私設軍隊と言えるものを持っていました。

なぜ空軍が戦車を持つようになったのか?

 古今東西、世界の独裁者というのは、既存の軍隊組織とは別に私兵を持ちがちです。その中でもナチス・ドイツ時代、実質的にアドルフ・ヒトラー私兵だったSS(親衛隊)は、その規模や、第二次世界大戦中の“様々な”活動で有名です。ただナチスでは珍しいことに、有力幹部だった人物も私設軍隊と言えるものを持っていました。それが「ヘルマン・ゲーリング師団」です。

Large figure1 gallery4 ヘルマン・ゲーリング師団の戦車部隊(画像:連邦公文書館)

 同師団はナチス政権下でヘルマン・ゲーリングが空軍内に創設した、戦車を含む装甲師団といえる組織です。ではなぜ、ドイツ空軍が戦車部隊を持つに至ったのか――。それはまだ第二次世界大戦が勃発するよりも少し前の1933年ごろにまでさかのぼります。

当時、ドイツ、プロイセン州の首相となっていたヘルマン・ゲーリングはプロイセン自治警察から志願兵を募り、特殊任務警察大隊を組織しました。この部隊が実際にどのような働きをしたのかはわかりませんが、州警察の模範部隊となるようヘルマン・ゲーリングは働きかけたといわれています。

 ヘルマン・ゲーリングといえば第二次大戦中の悪行や大戦中期以降の指導力の欠如ばかりがクローズアップされがちですが、第一次世界大戦時にはエースパイロットとしてドイツの英雄となった人物でした。当時政権を取ったばかりのナチス党での重要人物でもあり、プロイセン州の首相となった当時も非常に高い人気を誇っていました。

 そのため、志願する兵も多く、翌年には規模を拡大して「ジェネラル・ゲーリング(GG)」州警察団と名乗るようになります。制服も治安警察の青色から、当時のヴァイマール共和国軍の制服に似た緑色のものに変更、部隊名や階級も国軍に倣い、さらに将校と下士官は国軍の講習を受け、準国軍の扱いを受けるようになっていきます。創設当初から、ヘルマン・ゲーリングの私兵に近い組織の体をなしていたという訳です。

 そして、1935年、軍備を整えるためドイツは各州警察をドイツ軍に組み込んで行きます。ほとんどの州警察がドイツ陸軍に編成されたのですが、このとき唯一、新設されたドイツ空軍の所属となったのがジェネラル・ゲーリング州警察団でした。空軍の最高司令官はもちろんヘルマン・ゲーリング。部隊は「ジェネラル・ゲーリング連隊」と改称され、やはりゲーリングの私設連隊というのがもっぱらの評判でした。

 ここで、彼らは戦車や高射砲などが配備され、歩兵もすべて自動車を用いて行動する自動車化した機甲連隊となりました。こうして、空軍でありながら戦車を配備した珍しい部隊が誕生したのです。

精鋭部隊として各地を転戦

 半ばヘルマン・ゲーリング私設部隊ということで、隊員の選抜もかなりこだわっていました。というより独裁者であるヒトラーへの対抗心が感じられるものでした。ジェネラル・ゲーリング連隊はSSのようにドイツ国籍であり「ナチスの理想とするドイツ民族の特徴を備えていること」という点に関して共通でしたが、対象年齢に関してはSSが23~35歳までだったのに対し、ジェネラル・ゲーリング連隊は18~25歳までとより若い人材を求めていました。

Large figure2 gallery5 ヘルマン・ゲーリング師団のIV号戦車(画像:連邦公文書館)

 兵舎も専用のものが用意されました、若い人材への人気取りを狙ったのか、全盛期は専用の体育館、屋内・屋外プール、スポーツエリア、郵便局を持ち、制服も白い襟章と特殊部隊の袖章という特別なものが与えられました。その目立つ装いから当時の市民は街頭で歩いていてもほかの空軍将兵と区別できたといわれています。

 特別扱いを受けた実質的な私設軍隊ということで、このヘルマン・ゲーリング連隊は非常に士気が高く、各地の戦場で大きな働きをしたといわれています。

 特に第二次世界大戦の序盤、西方電撃戦においては高射砲部隊が強化され、大きな活躍を見せました。自動車化された各部隊は、戦車部隊とともに移動し、フランス占領後はパリの守護などにもあたっています。

 そしてその後も規模を拡大し、「ヘルマン・ゲーリング旅団」、「ヘルマン・ゲーリング師団」と、規模を大きくしていきます。しかし、北アフリカ戦線に派遣された影響で、チュニジアで包囲される形で大半の将兵が1943年5月12日に降伏。その後、本土で訓練していた予備兵力を再編成し、「ヘルマン・ゲーリング装甲師団」として再編。「ヘルマン・ゲーリング降下装甲軍団」と名称を改めました。ちなみに空挺部隊を意味する「降下」の文言が入っていますが、降下作戦をする訳ではなく、純然たる自動車化師団でプロパガンダ的な名称変更であったという考え方が一般的です。

 とはいえ、彼らの活躍は四方を敵に囲まれた第二次世界大戦後半のドイツ軍にとっては期待すべき大きな力となりました。1944年の段階では4号戦車を中心に50両以上の戦車が配備されており、突撃砲や対戦車自走砲も多く、また最新戦車のパンター戦車もいち早く配備されました。

 そして彼らを世間的に有名にした出来事が発生します。イタリア戦線で行われたモンテ・カッシーノの戦い直前、同地の修道院から美術品を救出したことです。

美術品を救出したこともあったが上司のせいで疑われる

 当時、「ヘルマン・ゲーリング装甲師団」に所属していたユリウス・シュレーゲル中佐は、モンテ・カッシーノ市郊外にある標高519メートルの岩山に陣取るドイツ軍が、連合軍から激しい攻撃を受けることを予見していました。そして、山頂に位置し見晴らしの良いモンテ・カッシーノ修道院が無傷で済むはずはないと確信していたのです。

Large figure3 gallery6放棄された戦車とその先を進むヘルマン・ゲーリング師団将兵(画像:連邦公文書館)

 そこでシュレーゲル中佐は、修道院の主要な美術品を救出すべきだという自身の考えを周囲に認めさせ、修道院側と綿密な外交交渉を重ねた末、大規模な救出作戦を実施しました。彼の予想通り、戦闘が始まると、山頂でひときわ目立つ修道院は連合軍の爆撃と集中砲火を受け、灰燼に帰しました。しかし、修道院に所蔵されていた貴重な美術品は、事前にバチカンへと運び出されていたため、破壊を免れたのです。

 ところが、シュレーゲルの雇い主であるヘルマン・ゲーリング自身が、各国の美術品を略奪していたという過去が災いし、連合軍のラジオ放送では「ヘルマン・ゲーリング師団の兵士が修道院を略奪した」と非難されることとなりました。

 さらに、シュレーゲル中佐はこの救出作戦を上層部に報告しておらず、独断での行動だったため、私的な略奪行為と見なされ、SSによって拘束されそうになります。しかし、修道僧たちの証言により略奪目的ではなかったことが証明され、最終的に師団長であるパウル・コンラート少将の承認を受けたことで、処分を免れることとなりました。

 もっとも、こうした英雄的な逸話だけではなく、同師団がイタリア戦線やポーランドのワルシャワ蜂起において、SSほどではないにせよ非人道的な行動を取っていたという事実も存在します。そのため、ニュルンベルク裁判では、同師団の幹部が戦争犯罪への関与を問われ、起訴予定のリストに名を連ねていました。

 最終的に、この裁判においては、虐殺や暴力行為に関して同師団の関係者が訴追されることはありませんでした。しかしながら、同師団に対する疑惑や検証の動きは、東西冷戦の終結およびドイツ再統一後も続き、2010年代に至るまで調査が行われることになります。

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