モンキーより小さい「公道走れる世界最小バイク」はこうして生まれた! まさに“伝説” 元ホンダエンジニアのスゴすぎる半生
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世界最小のバイクを手掛ける元ホンダマンの挑戦
「公道を走れる世界最小バイク」をうたう「仔猿」をご存知でしょうか。2000年代前半、東京・武蔵野に⼯房があるCKデザインが開発・販売を始めた40cc以下のキットバイクシリーズで、「組み立てる楽しさ」「乗る楽しさ」双方を満たし、日本だけでなく世界中にファンがいる類まれなモデルです。
「公道を走れる世界最小バイク」仔猿開発に至るまでの佐々木さんの長い長い道のりを聞きました(2025年、松田義人撮影)
この仔猿を開発したCKデザイン代表の佐々木和夫さんは、もともとはホンダの二輪の設計・開発を行っていた方。後述するモデルの開発に携わった一方、根っからのバイク好きが高じて33歳の若さでホンダを退職し独立。以降、紆余曲折を経て「世界最小バイク」仔猿を販売する「世界一小さなバイクメーカー」となり今日に至ります。
中学時代に体験したスーパーカブとZ100に感動
佐々木さんの「バイク人生」はまだ免許がない中学時代に始まったといいます。1958年発売の初代スーパーカブ、ホンダが運営していた多摩テックの遊具だった「モンキー」の前身・Z100が原体験だったと佐々木さんは振り返ります。
「それまでの僕は模型が好きでした。そこからラジコン、Uコン飛行機のエンジンを触ったりしていたんだけど、同じ頃にスーパーカブが売られ始めて、友達のお父さんが買ったんですよ。当時は許可証があれば14歳から50ccのバイクに乗れたので、そのスーパーカブを借りて土手の上で乗らせてもらったりして楽しんでいました。あとは多摩テックに自転車で遊びに行って、30円くらいでZ100に乗ることができて、これにも感動しました。結果的にそれまでいじっていたラジコン、Uコン⾶⾏機をヤメてバイク⼀筋になりました」
程なくして佐々木さん自身も初めての「自分のバイク」を購入。中学から高校までの間の春休みのことでした。
「ベンリィのJ型90っていう90ccの中古バイクでした。お年玉を貯めて買ったのだけど、もともと持っていた人が僕に譲るために乗ってきてくれました。でも、いざ売るとなったら僕はまだ子どもじゃないですか。だからその人はうちの母に『本当に良いのですか。この子にバイクを譲っても』みたいに確認していました。それでなんとか手に入れたわけですけど、初めてエンジンをかけたときは本当に嬉しくて。それからエンジンをバラしたり組み立て直したり。その後も山口オートペット50とか、トーハツランペットスポーツとかを手に入れて、毎朝、高校に行く前にポイントの調整とかをやっていました」
そして、佐々木さんは後にホンダ初の世界戦略車として今なお語り継がれるCB72も手に入れます。
「高かった記憶があるけど、でもCB72はエンジンがすぐに焼きつくバイクでした。要はパワーがあるバイクなのに、ギアが銅でできていてすぐにツルツルになっちゃったりします。おそらく当時のホンダはまだ今ほどの知見がない中で、必死に苦労してCB72を作ったのだと思うけど、しょうがないから僕は自分で部品を取り寄せて交換したりして乗っていたんです。でも、この頃までの経験は後にすごく役立ちましたよ」
「ポンコツレーサー佐々木くん」がホンダの研究所に就職
やがて佐々木さんは多摩テックで見たモトクロスに憧れ、レースにも参加するようになります。また、知人のツテがどんどん繋がり、バイク系出版社を経由して、モトクロスレースのブーツスポンサーまで獲得しました。まだ10代の頃のことですが、雑誌にも「ポンコツレーサー佐々木くん」の名で登場したこともあります。
「10代にしてすでにバイク関係のメディアと関係ができていて、バイク業界の知り合いが結構いたんです。ただホンダに入社できたのは、実は大学を卒業して1年後のことでした」
佐々木さんの大学卒業の頃、ホンダの新卒採用はごく限られていて、最初は荏原製作所に入社したといいます。ただし、荏原製作所にでは装置設計を担当し、バイクとは離れた分野。「やっぱりバイクの設計をしてみたい」と退社し、改めてホンダの求⼈を⾒つけ、見事、1970年に本田技術研究所に採用されます。
「その求人はホンダの工場勤務のものでした。でも、面接のときに『僕は研究所に行きたいんです』と言ったら、スンナリ研究所に入れてもらえました。ただ、このときに座った席は四輪でした。それでしばらくシビックの図面を書いたりしていたけれど、しばらく経って上司に『二輪に回してもらえませんか? 四輪が面白くないわけじゃないけど、僕は二輪がやりたいんです。無理なら辞めます』って言いました。そしたら、もうその日に二輪に移動させてくれました。
今考えると、若さってすごいですよね。本気で『ホンダで二輪やらせてくれないなら、ヤマハでもカワサキでも転職すればいいや』みたいに軽く考えていたんですから。だから後にも先輩からからかわれましたよ。『お前は、自分で言い出して四輪から二輪に異動するような奴だからな』って」
騙されたり収入ゼロになりながらも起業、元手は資本金「1万円」
見事ホンダの二輪の開発に所属することになってからは、世界選手権向けレーサーの開発やロングツアラーモデルの水冷ポンプの開発を手がける一方、ファミリーバイクのシャリィの一部の開発などにも関わります。客観的に見ても、70年代のホンダの主要バイク開発の一端を佐々木さんが行っていたわけで、ホンダ製バイクへの貢献度は高かったことと想像しますが、佐々木さんは10年勤めたホンダを33歳で退職します。
若かった頃の「佐々⽊和夫君」
「実は騙されちゃったんですよ、台湾のバイクメーカーに。ヘッドハンティングみたいな声がかかって、すごい好条件だったからホンダを退職して、しばらく台湾に住むことになったんだけど、当初の話と全然違いました。バイクの開発もさせてもらえないし、好条件だったお金も全然もらえなくて。『こんなことしていてもしょうがない』と思って、1年ほどで日本に帰ってきたんです。
でも収入はゼロ。当時子どもがいて大変だったから、秋葉原の電気店の売り場でアルバイトしたりしましたよ。同時に、設計事務所に行って図面を書かせてもらったりして、なんとか食い繋ぐ……という状況でした。そんな中で、日本のヘルメットメーカーさんが『フェアリングの図面を書けないか?』って声をかけてくれました。フェアリングって変なカタチをしているでしょう。あれを図⾯に起こせる⼈が社内にも社外にもいなかったらしくて、その仕事をフリーで受けるようになったんです。
でも、電気店や設計事務所のアルバイトで稼いだお金は全部家に入れていたので、僕に自身はお金がないし道具がない。手元にあるのは本田技術研究所が退職時にくれた鉛筆とコンパスだけ。なんとかして自宅に製図台が欲しい、そうすればヘルメットメーカーさんの仕事を受けられると。それで『1万円』で製図台を購入し、自宅の8畳の畳部屋に置いて、ヘルメットの図面を書く仕事を始めたというわけです」
上がり下がりが激しかった1980年代中盤
つまり佐々木さんの独立資金はこの「1万円」だけ。それでも、ヘルメットメーカーの図面を書く仕事のおかげで、しばらくは収入が安定し始めました。ただし、佐々木さんによれば「でも初めてからの初年度だけだった」ともいいます。
「すごい安定して稼げたから『これはいいな』と思ったのですけれど、僕にはどうも商売が下手なところがあって。僕の設計はとにかく腕が良いわけです。普通の設計屋だったらとてもできない設計を、その10倍くらいの速さで仕上げちゃうわけです。しかも修正などがない完璧なものだから、どんどん仕事を終えていっちゃいました。
体を壊してお医者さんに行って、その日一発で病気を治せたら、お医者さんは商売にならないでしょう。それと同じで僕は、速く完璧に設計を続々と仕上げていったから仕事がどんどん減っていってしまった。自分で墓穴を掘っているようなものでしたよ」
ひとときは安定して稼げていたものの、再び極貧状態に。特に1985年は地獄のような日々を送っていたといいます。
「仕事もないし、お金もないし。でも家族には『お金がない』と言うわけにもいかない。移動するためのガソリンも買えなくて、ポンコツ屋さんに行って事故車のガソリンを譲ってもらったりして移動していました。あとは原稿も書くようになりました。10代の頃から付き合いがあった出版社はもちろん、バイク関係の出版社にあちこち営業して書かせてもらっていました。
そんな中、1986年にドイツのバイクショーの取材が入ったんです。『この取材が終わって日本に帰ったら就職しよう』という覚悟があったんだけど、たまたまあのヘルメットメーカーさんの社長さんがいました。『挨拶くらいしなくちゃ』と思って声をかけたら『何してたの!? 探していたんだよ!』って言うわけです。
さらに『実はうちの技術顧問になって欲しいんだ』とも。それからまたヘルメットメーカーさんの仕事が始まり、あとホンダでヒットしていたジャイロXの全天候型カウルを開発したりしました。結果的にジャイロXは宅配ピザ屋さん御用達バイクになり、全天候型カウルが大ヒットして、これも助かりました」
ホレックス、バジャジ、MZ…世界のバイクブランドを日本市場へ
この頃から佐々木さんは海外のバイクブランドにも関わるようになります。まずはドイツのバイクメーカー、ホレックスの製造権買い取り、ホンダ製の世界最速単気筒エンジンを搭載したモデル、ホレックス644オスカの生産を始めます。
ひょんなことから佐々木さんが輸入することになった「インドベスパ」ことバジャジ(画像:モトビートシフトアップ)
50台を生産し、ドイツに売り込みを目論んでいたところで、東西ドイツ統一という一大変換機にあたり、ドイツでの販売の道は消失。佐々木さんは億単位の借金を抱えることになり、再びイチから出直しに。しかし、この東西ドイツ統一によって予期せぬ「怪我の功名」がありました。
「統一された直後に、ホレックス関係の仕事で東ドイツに行ったんですけど、『元東ドイツのインド大使』という人で出会ったんです。でも、東ドイツはもうなくなっちゃうし、彼は『もうインドに帰る』って言うわけ。実は僕は、前述の台湾時代に『バジャジ』というインド製のベスパを見たことがあって。当時の台湾は、イタリア本国のベスパ、台湾のライセンス生産のベスパ、そして『バジャジ』というインドのライセンス生産の3種のベスパが走っていたんですが、僕から見て一番良くできていると思ったのが実は『バジャジ』でした。
それで、そのインド大使に試しに『バジャジ日本に輸入できませんかね』って話をしたら『できるよ』と。それからトントン拍子でバジャジの入ったコンテナが何個も日本に来て。今考えると恐ろしいことですよ。保管場所とかも考えぬまま輸入しちゃったから大変でしたが、これも若かったからこそできたこと。一部キープストックが数台残っているけれど、大半は売り切りました」
このバジャジ輸入と同時期、佐々木さんは立ち上げたCKデザインのブランドで、MZという東ドイツ製バイクの輸入も始めます。従来のバイクメーカーや輸入業者とは異なる「バイクメーカー」として、一般ユーザーの間でも、佐々木さんとCKデザインの名が少しずつ広がっていきました。
ついに完成した「世界最小バイク」仔猿
90年代に入ってからは車椅子や車椅子関連器具、明治乳業の宅配ボックス、東武鉄道のバスなどの開発に関わる一方、GMフォードの四輪開発、古巣ホンダのエンジン開発など、幅広い分野での開発を初めて行きます。そんな中で、いよいよ佐々木さんが「本当にやりたいのは、こういうことだった」という開発が実現します。
それが、佐々木さんの79年のバイク人生の代表作と言って良い、「公道を走れる世界最小バイク」仔猿の開発でした。
「たまたまホンダを訪れた際、ホンダ関係者から『最近作った』という『汎用エンジン』を見せられたんです。『いろんな使い道があり、信頼性も高い汎用エンジンです。このエンジンを使って、佐々木さんが考えた何か新しいことができないものか』と言われまして。
そこから、その汎用エンジンを取り寄せて自分で解析。『オートバイに使ったとき、ちゃんと走るのか』みたいなところから始めて、『この小さなエンジンで何ができるだろうか』と考え始めたわけだけど、結果的に『これはいいぞ』と思えたのが、50ccのモンキーよりさらに⼩さい31ccエンジンのバイクに仕上げること。そこで『仔猿』という名にして売り出すことにしたんです」
当初、佐々木さんはホンダの31cc汎用エンジンを使いながら、コンプリートバイクとしての「仔猿」の販売を予定していたそうですが、後に「キットバイクにして販売しよう」と思いつきます。
「一番初めの『仔猿』は100台でしたので、バラバラのパーツを前に僕が1人で組むつもりでいました。しかし、『いやキットバイクにしても良いな』と思い始めて。『仔猿』みたいな小さいエンジンのバイクを好む人は、僕と同じように『作る』ことが好きな人が多いかもしれないと思って。これは結果的に大正解。オーダーが入って、宅急便でキットのまま送ると『組めましたよ!』とか『自分でバイクを組み上げるのが面白い!』なんていう声が届いたりして。僕にとってもすごく嬉しい出来事でした」
バイクは人生に良い影響を与える一番のホビー
実は佐々木さんは「仔猿」がここまで注目を浴びるとは当初思っていなかったといいます。
「バイクは⼈⽣に良い影響を与えるホビーです」と佐々⽊さん(画像:INTERNATIONAL MX)
「本来の僕は技術屋の人見知りで『他人と一緒に何かをやる』『他人と楽しみを共有する』といった経験が少し苦手なんだけど、『仔猿』以降は、そうやって交流が広まったりして毎日が楽しくなりました」
そして、「仔猿」の様々な世代からのニーズを受けて、こんな風に考えるようにもなったといいます。
「たとえば、これまでにバイクに触れたことがない、まだ若い子どもたちに知ってもらえたらすごく良いなとも思うようにもなりました。子どもたちにとっては『バイクの組み立て』はハードルが高く感じるかもしれないけど、そこで壁にぶつかったとき、友達と一緒に情報交換や試行錯誤を重ねます。
そのコミュニケーションや苦労も含めて、やっと組み上げることができた『仔猿』というキットバイクは、普通にお金を出して買ったコンプリートバイク以上に『特別な1台』になるんじゃないかなと思って。だから、これからはバイクに触れたことがない若い子たちにも『仔猿』を届けていきたいと思っています」
最後に佐々木さんに、自身のバイク人生と重ねて、次世代を担う若者に対する思いも聞きました。
「バイクって、どの時代も『日本の親の世代』は『危ないから』と子どもを遠ざけがちでしょう。でも、そのバイクに乗っていることで、実は塾や学校で会う友だちばっかりじゃなくて、いろんな世代の、いろんな職業の人と出会うこともできるんです。確かにそこには、親が遠ざけたがるような『危ない人』『ヤンチャな人』もいるかもしれない。でも、無菌状態で過ごしていても、社会的人間力は身につかないと思います。転んだり、痛いめにあうこともあるから人間は学んでいくのであって。僕の人生を振り返っても、ここまでの通り失敗だらけでしたよ。
でも、バイクがきっかけで本当にいろんな体験ができたし、孫くらい違う世代のバイク仲間もできたり、本当に楽しいことばかりでした。バイクって世界中では『キング・オブ・ホビー』と呼ばれていて、『同じバイクが好きだ』というだけで、言葉が通じない外国人同士でもすぐに友達にもなれるものでもあります。こんなに身近で、人生に良い影響を与えるものって、やっぱり僕にはバイクしか思い浮かびません。これからもバイクを楽しみながら過ごしていければ良いなと思っています」
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