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バルカン砲の先祖「ガトリング砲」が消えたワケ 日本ではボッタクリ価格で秘密兵器に

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  • 乗りものニュース
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初期の機関銃ともいえるガトリング砲。現代の機関銃とは異なる、いわゆる多銃身といわれる構造を持つこの火器は、当初は意外な目的で発明されたそうです。いまやほとんど姿を見なくなった兵器「ガトリング砲」の出自と経緯を追いました。

戦争犠牲者を減らすために誕生

 日本語で「多銃身機銃」などと形容されるバルカン砲。その名のとおり、3本や6本など複数の銃身を環状に束ね、それが回転することにより高速で極めて多くの銃弾を撃ち出せるようになっています。

 その元祖といえるのが19世紀に登場したガトリング砲です。これは、6本の銃身を持つ初期の機関銃であり、毎分200発もしくは毎分900発で銃弾を発射することが可能な、当時としては強力な兵器でした。

 その仕組みは複雑で、なおかつ機動性も悪かったことから、当時の軍隊は性能をフルに発揮できませんでした。とはいえ、現代につながる単銃身の機関銃が普及するまでの一時期、世界各地の戦争や紛争などで使われたため、意外にも実績を残しています。

 ただ、ガトリング砲が開発された当初の目的は、現在から見ると意外なものです。それを探るため、歴史をさかのぼってみましょう。

Large 220112 gatling 011877年、フォート・リンカーンのガトリング砲(画像:アメリカ陸軍)。

 ガトリング砲を開発したのは、農業機器などを手がけるアメリカの発明家リチャード・ガトリングでした。彼は、以前に発明した小麦を植えるドリルをヒントにガトリング砲を生み出します。そして特許申請の際に、その目的を「発射速度の速いガトリング砲ならひとりで100人分の戦闘能力があり、大規模な軍隊は不要になるから戦闘や戦場の病気で亡くなる人を減らせる」と書きました。

 つまり、戦争の犠牲者を減らす、というのがこの発明の目的だったというわけです。しかしガトリングの目的とは裏腹に、機関銃が主力兵器になった日露戦争や第1次世界大戦では、戦争が長期化して多くの歩兵が犠牲になりました。

アメリカから世界の軍隊へ

 開発当初のガトリング砲は、おおむね次のような使用状況でした。

 最初に製造された6丁は工場の火事で失われ、その後に造った13丁のうち12丁を、アメリカ南北戦争当時の北軍指揮官、ベンジャミン・バトラー将軍が購入し、残り1丁を海軍のデビッド・ディクソン提督が購入しています。

 それらは、北軍がピーターズバーグ包囲戦で、海軍は砲艦に据え付けて使用しました。なお、一部はニューヨークで起こった徴兵暴動の鎮圧で威嚇に使われ、ペンシルベニア州兵も配備したといいます。

 その後、南北戦争を終えたアメリカはスペインとの米西戦争、続くフィリピンとの米比戦争でガトリング砲を使用。ただし、それらの戦いでは、機動力のなさでアメリカ軍は持て余したそうです。

 ちなみにアメリカ以外では、アルゼンチン、ペルー、イギリス、オーストリア=ハンガリー帝国、それに最も多い400丁を購入したロシアが国内の反乱や植民地戦争に投入しました。

長岡藩が戊辰戦争で重用

 この頃、日本は江戸時代末期、いわゆる「幕末」です。当時の日本では、外国の武器商人が最新式の銃や南北戦争で不要になった中古品を売り込み、一大武器市場が形成されていました。

 そのようななか、我が国に持ち込まれたガトリング砲は3丁で、うち2丁を長岡藩(現在の新潟県)が購入し、残り1丁は薩摩藩(現在の鹿児島県)が手に入れました。

 長岡藩は石高7万4000石の小藩でしたが、当時の家老河井継之助の行政改革により10万両の貯えがありました。この資金でフランス式の軍隊を作り、ガトリング砲など最新の装備を調達したのです。

Large 220112 gatling 021896年、ワシントンDCの海兵隊兵舎で撮影されたコルト社製の防盾付ガトリング砲M1895(右)とドラム給弾式のM1883(画像:アメリカ海兵隊)。

 その後、長岡藩は戊辰戦争で薩摩藩や長州藩(現在の山口県)が中心となった官軍(新政府軍)に敗北しました。ところが官軍は長岡藩を小藩とあなどったことで、この戦争中、最大の被害を出しています。

 なお、前出したようにガトリング砲は薩摩藩が1丁購入しています。こちらは、同藩が幕府所有の装甲艦「甲鉄」を手に入れた際に、同艦の武装として備え付けられています。のちに、この1丁は旧幕府軍が「甲鉄」の奪取を謀った宮古湾海戦で使用され、反撃の一助となっています。

 また、明治時代には、新たに輸入されたガトリング砲と共に日清戦争へ投入されたほか、台湾外征にも用いられ、同地で治安維持に使われました。

 なお、前出したように日本で最初にガトリング砲を購入した長岡藩は、新潟でプロイセン(現在のドイツ)人貿易商から洋式銃と共にガトリング砲を購入しています。

 このときの価格は1丁で6000両だったそうです。かけソバ一杯を基準に計算すると1両は約12万1800円となるため、そこから算出するとガトリング砲1丁は約7億3080万円になる計算です。

 一方、南北戦争時にアメリカのバトラー将軍が購入したガトリング砲は1丁1000ドルでした。幕末の交換レートは1ドルが銀3分(1両の4分の3)なので9135万円になります。両者を比べると、長岡藩のガトリング砲はかなりのボッタクリ価格だったといえるでしょう。

時代は単銃身の機関銃へ

 話をリチャード・ガトリングに戻すと、彼は1870年にガトリング砲の特許を銃器メーカーのコルト社に売却しました。こうしてガトリング砲の特許を手に入れたコルト社では、その後も改良を重ね、1893年には毎分3000発の発射速度が可能な電気モーター式の特許を得ています。

 ただ、この電動化がガトリング砲の運用の幅をかえって狭める結果となります。電動式のためさらに重量が増し、精度の低いモーターはかえってガトリング砲を扱いにくい武器にしてしまったのです。

 重量の増したガトリング砲を装備した砲兵隊は、歩兵と共同で行動するのが困難でした。そのようななか、1889年にコルト社が開発したガス式のブローニング機関銃や全自動式のマキシム機関銃が登場すると、アメリカ陸軍は手動式のガトリング砲を1911年に廃止。以降、ガトリング砲は表舞台から姿を消します。

Large 220112 gatling 03アメリカ海軍の空母が装備する近接防御火器(CIWS)の「ファランクス」(画像:アメリカ海軍)。

 発明当初の目的は忘れられ、強力な兵器として世界に広まったガトリング砲ですが、こうして使い勝手が悪くなったことで、次第に廃れていきました。しかし、ガトリング砲が始祖となった多銃身火器は、第2次世界大戦後にバルカン砲として復活し、航空機の機関砲や陸軍の対空砲、海軍の艦載砲や近接防空火器(CIWS)などに応用され、今ではポピュラーな兵器になっています。

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