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WW2に実在した“クマの兵士” 動物なのにガチで人間扱いの「一般兵」となった理由とは?

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人間が戦場で使役する動物とは一線を画し、一兵士として人間と同等に階級を持ち、戦場で働いた“人間以外の兵士”がいます。それが「ポーランド軍の英雄」と呼ばれたヒグマのヴォイテクです。

イランで保護されポーランド軍と出会う

 クルマや通信が発展する以前の人類の戦いでは、動物が活用されてきました。騎馬隊や荷馬として活躍する馬、警備用の犬、伝令用のハト、砂漠で活用されるラクダなどです。しかし、戦場で活躍する動物のなかには、これらの人間が使役する動物とは一線を画し、一兵士として人間と同等に階級を持ち、戦場で働いた“兵士”がいます。それが「ポーランド軍の英雄」と呼ばれたヒグマの「ヴォイテク」です。

Large figure1 gallery2ヴォイテクとポーランド兵(画像:帝国戦争博物館)

 シリアヒグマのヴォイテクは、今から80年以上も前、第二次世界大戦中のポーランド軍の輸送部隊に所属していました。最終的な階級は伍長だったといいますから、人間としてならば下士官の扱いです。

 クマということで人間を襲うほど狂暴なのではと思ってしまいますが、記録によると、仲間の兵士とともに各地を転戦し、ともに食事をし、歩哨にも立ち、敬礼をすることもできたといいますから本格的です。

 ヴォイテクが生まれたのは、イランのハマダンという町の近くでした。母親を猟師に殺され、行き場をなくした子熊を地元の少年が見つけて保護しました。その子熊は、まもなくソ連とイギリスの取り決めによりイラク国内にいたポーランド難民の手に渡ります。しかし子熊は大きくなっていき、各地を転々とする難民の手と生活するのは難しくなってきます。

 困ったポーランド難民は、その子熊を近くに駐屯していたポーランド陸軍の輸送部隊に引き取ってもらうことにしました。ポーランド陸軍もそれを受け入れ、熊はヴォイテクと名付けられることになったのです。ポーランドの一般的な男性名「ヴォイチェフ」の愛称、もともとヴォイチェフには「戦士」「戦う人」などの意味があるため、ヴォイテクは「可愛い戦士」「微笑みの戦士」のような意味になるといいます。

 当時のヴォイテクは4歳未満の若熊。性格もまだ大人しく、人間に囲まれ育ったため、人慣れもしており屈強な兵士の多い軍隊で育てるのには問題はありませんでした。
 ちなみに、子どもの頃からヴォイテクは、ミルクをあいた酒瓶に入れてもらい飲んでいました。そのためか、日を追うごとにヴォイテクはビールが大好きなクマになったという逸話が存在します。これは、ミルクを入れた瓶にお酒が残っていたからだといわれていますが本当のところはわかりません。

このまま動物扱いでは船で運べない…ならば!

 ヴォイテクの主な仕事は弾薬の運搬でした。体長は約180cm、体重は250Kg以上あり、パワーも人間の兵士以上だったといいますから、人間には運ぶのが大変な砲弾の入った弾薬箱を運ぶのも軽々だったようです。

Large figure2 gallery3ヴォイテクとポーランド兵(画像:帝国戦争博物館)

 ポーランド兵たちに可愛がられながら過ごしたヴォイテクは、各地を転々としました。このときの交流の記録なども残っており、兵士たちと格闘技に興じていたといわれています。また実戦においても、北アフリカ戦線で紛れ込んだスパイを発見するというお手柄をあげたこともあります。

 こうして部隊になじんでいったヴォイテクの名は、次第に広くポーランド軍、ひいては連合国軍に知られるようになっていきました。

 連合国軍によるイタリア上陸作戦が開始されると、ポーランド軍の輸送部隊もその作戦に参加することになりました。しかし、輸送艦で動物を運ぶことは禁じられていたため、ヴォイテクはついていくことができません。そこでポーランド軍司令部は一計を案じ、ヴォイテクを二等兵に任命します。正式に軍籍番号と軍隊手帳を発行し、ポーランド軍の兵士として船に乗せたのです。

 正式にポーランド軍人となったヴォイテク二等兵は、人間にもなかなかできない大きな活躍をします。1944年1月から5月にかけてイタリアで起こったモンテ・カッシーノの戦いにおいて、ヴォイテクはほかの兵士たちとともに、弾薬の運搬を行ったといいます。

 ヴォイテクは45Kgもある弾薬箱を軽々と持ち上げ、また一発10Kgの25ポンド砲弾を何往復もしてトラックから運び出し砲撃手に渡していったといいます。戦場は足場の不安定な山岳地帯でしたが、それでも一度も落としたりすることはなかったと言われています。

 砲弾が飛び交い大きな発射音や爆発音が響く戦場でも、ヴォイテクはひるむことなく、驚いて味方兵士を傷つけるといったことも一切なかったといいます。

 このモンテ・カッシーノの戦いでの功績でヴォイテクは伍長に昇進。さらに、ヴォイテクの所属する第22輸送中隊は、「砲弾を持つクマをかたどった紋章」を公式シンボルとすることが軍司令部に認められました。

 モンテ・カッシーノの戦いから約1年後、ドイツが降伏し欧州での大戦は終結します。ただ、ヴォイテクがポーランドに凱旋することはありませんでした。

戦後はイギリスで余生を過ごす

 戦後ヴォイテクは、スコットランドのベリックシャーに移送され、他の隊員と共にしばらく行動を共にしました。その後、1947年11月15日にヴォイテクはエディンバラ動物園に預けられることが決まり、そこで余生を過ごすことになります。しかし必ずしも仲間に置いていかれ、孤独だったという訳ではありません。

Large figure3 gallery4動物園に預けられた後のヴォイテク(画像:帝国戦争博物館)

 実は、イギリスやアメリカと共に北アフリカや西欧で戦ったポーランド人部隊の将兵の多くは、戦後の東西冷戦によりポーランドがソ連寄りの共産主義国家になった映鏡で微妙な立場におかれ、祖国に帰還できなくなってしまいました。

 そのため、イギリスに残り、ヴォイテクに会いに行く戦争当時の戦友もいたといいます。ヴォイテクはかなり記憶力のよいクマだったそうで、戦友が顔を見せポーランド語で話かけると、再会を喜んで反応していたといわれています。

 そして現地での人気も高く、すぐに地元の民間人や報道関係者の間で話題となり、ポーランド・スコットランド協会の名誉会員となったほか、イギリスの公共放送局、BBCの制作した子ども番組にゲスト出演したこともあります。

 ヴォイテクは1963年に21歳で亡くなりましたが、ヴォイテクの功績は現在でも伝えられており、ポーランドのクラクフ旧市街の近くにあるヘンリカ・ヨルダナ公園には今も彼の銅像が建てられるなど、英雄クマとして、ポーランドの人々に愛されています。また、もちろんイギリスにもその功績が広まっており、ダックスフォード帝国戦争博物館や飾り額が、ロンドンのシコルスキ博物館には記念碑があります。

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