神楽坂の「神楽」とは何を意味するのか? 由来にまつわる四つの説、知られざる正解は
- アーバン ライフ メトロ - URBAN LIFE METRO - ULM |

気になる都内の地名・駅名の由来
東京都内を電車で移動したり、徒歩で散策したりしていると
「この地名や駅名はどんな由来で付けられたのか」
と、疑問が湧いてくることがあります。東京は約1400万人が暮らし、仕事をする巨大都市ですが、歴史が振り返られる機会はさほど多くありません。
そのため、筆者(小林明、編集プロダクション『ディラナダチ』代表)は
「駅名・地名には、知らない歴史・秘密があるのでは」
「それらを知ることは、東京の成り立ちを知ることにもつながるのではないか」
と思いたちました。

今回向かったのは、東京都新宿区にある「神楽坂」です。理由は「神楽」という言葉の響きに物語を感じたからです。
文豪が愛した神楽坂
神楽坂は多くの文豪に愛された土地で、明治時代後半から泉鏡花や北原白秋らが住居を構えていました。
夏目漱石の『坊っちゃん』の主人公は江戸っ子で、赴任先の松山の町並みを神楽坂と比較しています。現代では柚木麻子さんの『あまからカルテット』が神楽坂での食べ歩きをテーマとしています。

メインストリートの坂から一歩入ると路地が多く、しゃれたカフェやレストラン、日本料理店などが軒を連ねています。
また、駅名では
・東西線「神楽坂駅」
・大江戸線「牛込神楽坂駅」
にその名をとどめています。
JR飯田橋駅からも至近で、西口を下車し、外堀通りを渡ってすぐの地点が神楽坂下、つまり坂の入り口です。
神楽坂の地名を取り巻く四つの説
坂に入ると、地名の由来が解説された案内板が立っており、次の四つの説が書かれています。
1.坂の途中にあった高田八幡(穴八幡)の御旅所で神楽を奏したから
2.津久戸明神が移ってきた時この坂で神楽を奏したから
3.若宮八幡の神楽が聞こえたから
4.この坂に赤城明神の神楽堂があったから
1の由来は『江戸名所図会(えどめいしょずえ)』、2は『新編江戸志(しんぺんえどし)』、3は『江戸鹿子(えどかのこ)』、4は『望海毎談(ぼうかいまいだん)』で、いずれの説も、神楽が由来であることで一致しています。

穴八幡、津久戸明神(現在は千代田区の筑土神社)、若宮八幡、赤城明神(現在は赤城神社)は、すべて今も現存しています。
神楽坂の急勾配がヒントに?
最も古い書物は3ですが、古いから必ずしも正しいとはいえず、1の「坂の途中にあった高田八幡(穴八幡)の御旅所で神楽を奏したから」こそ説得力があるという地名研究者も少なくありません。なぜなら、神楽坂がかなりの急勾配だからです。
御旅所(おたびしょ)とは、祭礼(お祭り)の神輿がいったん休憩する場所のこと。つまり、
「あまりに坂が急なため、御旅所で休む必要があったのではないか」
と、谷川彰英さん(ノンフィクション作家・筑波大学名誉教授)は指摘しています。

なお『江戸切絵図』の「市ヶ谷牛込絵図」(1849~1862年制作)にも御旅所が記されており、同地で神楽が演奏されています。
厚く信仰された穴八幡宮
そこで早速、新宿区西早稲田にある1の高田八幡(穴八幡宮)に行ってみました。東西線「神楽坂駅」の隣の早稲田駅から徒歩2~3分にあります。

ここは、徳川8代将軍・吉宗が自分の子が疱瘡(ほうそう、天然痘)にかかったのを受けて、平癒祈願のために流鏑馬(やぶさめ)を奉納した神社です。吉宗は同時に、武芸として廃れつつあった流鏑馬を奨励。その結果、穴八幡宮には馬場が整備され、流鏑馬の中心地として興隆しました。
また、蟲(むし)封じの神社としても知られていました。当時、幼児が体調を崩したり、機嫌が悪くなったりすると、その原因は「疳(かん)の虫」のせいとされていました。穴八幡宮はそれを防ぐ祈りを行っていたため、庶民から厚く信奉されていたのです。
武士・民衆双方から支持を得ていた穴八幡宮だけに、祭礼も盛大だったのでしょう。お祭りで宮出された神輿は、神楽坂までの約1.5kmをワッショイワッショイと練り歩きました。
そして、神楽坂の中腹にあった御旅所に神輿を入れ、休憩をとります。その際、担ぎ手たちの疲れた身体を癒やしてくれたのが、神楽の音色――江戸文化の香りが伝わってくる光景だったでしょう。
物流・催事・文化の交流に神楽が華を添えた
神楽坂の御旅所はもうありません。碑石すら立っていません。しかし、前述の『江戸名所図会』などから、おおよその場所は特定できます。
神楽坂下から上って行くと、毘沙門天(びしゃもんてん)善国寺が左手に見えてきます。御旅所はその10mほど手前、現在は陶器店や帽子・傘店の老舗がある場所辺りにあったと思われます。

そもそも江戸初期のこの一帯は武家地、つまり旗本らの屋敷が立ち並ぶ町でした。それが江戸城外堀の河岸(かし、船の発着場)が神楽坂下に設置されると、物流の拠点としても発展していきます。
毎月2~3日あった「寅(とら)の日」には縁日がありました。寅の日は金運招来日でもあり、「お金を呼び戻す」という縁起の良い日でした。
また、牛込藁店亭(うしごめわらだなてい)という寄席もあったと聞きます。物流・催事・演芸などの文化交流地として人が集い、御旅所の神楽はそのにぎわいに華を添えたことでしょう。
ところが1860(万延元)年の地図には、御旅所が記載されていません。『江戸切絵図』は1849(嘉永2)年から1862年にかけて作成されましたが、ほぼ同時期に作成された別の地図には載っていないのです。真相はわかりませんが、何らかの理由で御旅所が廃止された可能性も捨て切れません。
万延といえば、幕府大老・井伊直弼(いいなおすけ)が強権をふるった「安政の大獄」(1858~1859年)の直後でした。いわば江戸の大改革期です。神楽の音は激動の幕末、神楽坂から消えてしまったのでしょうか――今や知る由もありません。
実は損している?
ニュースを読んでポイントが貯まるサービスがあるのを知っていますか?ポイントサイトのECナビでは好きなニュースを読んでポイントを貯めることができるのです。(※ECナビはPeXの姉妹サイトです。)今日読んだニュースが実はお小遣いになるとしたら、ちょっと嬉しいですよね。
ポイントの貯め方はニュースを読む以外にも、アンケート回答や日々のネットショッピングなど多数あるので、好きな貯め方でOK!無料で登録できてすぐに利用できます。貯まったポイントはPeXを通じて現金やAmazonギフトカードなどに交換できます。
運営実績も15年以上!700万人以上の方がポイントを貯めています。毎日好きなニュースを読んでお小遣いを貯めてみませんか?
簡単無料登録はこちらYOUの気持ち聞かせてよ!
いいね | ![]() |
|
---|---|---|
ムカムカ | ![]() |
|
悲しい | ![]() |
|
ふ〜ん | ![]() |
