通勤電車はなぜ「4ドア」主流に? 少なくても、多くても、大きくても困る!? 試行錯誤の120年
- 乗りものニュース |
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通勤形の鉄道車両で、大量の乗客が乗り降りするドアは重要な設備です。現在の通勤電車は4ドアが主流ですが、どのような経緯を経て、このようなスタイルに進化してきたのでしょうか。
明治から大正にかけて、たった10年で現代的な電車に
通勤電車にとってドアは最も重要な設備と言えるかもしれません。ドアとは端的に言えば車体側面の開口部です。大量の旅客をスムーズに乗降させるには、面積の大きい多数のドアが必要ですが、その分、座席は少なくなってサービスが低下します。朝ラッシュをさばきつつ、日中の快適性を確保する、電車のドアはその難しいバランスを取る存在です。
国鉄101系電車の一部は秩父鉄道に譲渡されたが、2014年3月までに営業運転を終えている(画像:写真AC)
通勤電車の始祖といえる1904(明治37)年開業の甲武鉄道(現・JR中央線)「デ963形」は、全長10mの小型車体でした。運転台に窓(ヴェスチビュル)が設置されたオープンデッキ式で、乗客は両車端のデッキから乗り込んで、客室内に入りました。まだ通勤ラッシュが存在しない時代なので、路面電車然としたスタイルでも問題はありませんでした。
現代的な「電車」は1909(明治42)年、山手線の電化にあたって製造された「ホデ1形(ホデ6100形)」に始まります。ボギー台車を採用したことで車体を16mまで拡大しましたが、引き続き乗降口は扉のない開放式でした。
2年後の1911(明治44)年に登場した改良型「ホデ6110形」では、車体中央に扉が増設され、増備車から乗降口に折戸が設けられました。さらに1913(大正2)年に登場した「デハ6300形」は運転台と乗降口が分離され、デッキと客室を区切る扉を廃止しました。
デッキも客室の一部とみなされるようになったことで、この頃から車端の乗降口に扉が設置されます。当初は折戸や開き戸が採用されましたが、1914(大正3)年に京浜線(現・京浜東北線 東京~桜木町)向けに新造された「デロハ6130形」から片開きの引き戸となり、旧型車両も順次、更新工事がなされました。
大正時代中期、大戦特需を背景とした経済成長と郊外化で通勤需要が急激に高まると、利用増に対応してドアに変化が訪れます。まず当初、2扉車が用いられていた京浜線にも3扉車が投入されました。また、単行から2両、3両と編成が増えたことで、従来の車端と中央の3ドアから、編成で均等な間隔となる配置に改められました。
これによりデッキと客車が分離された構造から、客室内へドアから直接乗り込めるようになりました。また、ドア幅が従来の約90cmから約1.1mに拡大され、乗降時間が大幅に短縮されました。
「鉄道博物館」のホデ6110形と、「リニア・鉄道館」にある1921(大正10)年登場の「モハ1形」を比較すると、わずか10年で一気に現代的な電車になった印象を受けます。
戦時中に生まれた4扉車
大正末から昭和初期にかけて通勤需要は一層、増加します。それまでは駅員がひとつずつドアを手動で開けていましたが、空気式のドアエンジン(自動ドア)導入が始まり、停車時間を大幅に削減しました。
このレイアウトとメカニズムは長らく戦前のスタンダードとなりましたが、次の変化は戦争とともに訪れました。総動員体制下の勤労動員でさらに増加した乗客をさばくため、鶴見臨港鉄道(現・JR鶴見線)は1942(昭和17)年に17m車体4扉車を新造。また鉄道省も1943(昭和18)年に20m車体2扉の「モハ43形」を4扉に改造し、通勤輸送に投入しました。
これを踏襲して1944(昭和19)年、戦時設計の20m車体4扉車、いわゆる「63系」が策定されますが、実際の製造は戦後まで持ち越しになりました。続いて安全性を見直した、いわゆる「72系」が導入され、戦後の混乱期を支えました。
そんな中、1954(昭和29)年開業の地下鉄丸ノ内線に、日本初の両開きドアを採用した「300形」が登場します。鉄道省も1941(昭和16)年に両開き車両を試作していましたが、実用化は1957(昭和32)年の「モハ90系(101系)」まで待たねばなりませんでした。
101系は「20m車体」「幅1.3m両開き扉」「4扉」という現代の電車のスタンダードを確立しました。戦前の決定版である「20m車体」「幅1.1m片開き扉」「3扉」のモハ40形と車体長に占める開口部を比較すると、モハ40形が16.5%なのに対し、101系は26%まで増加しています。高度成長期の通勤輸送は101系に始まる新性能電車抜きには成り立たなかったでしょう。
さらに扉を増やしたのが、1970(昭和45)年に登場した京阪電鉄「5000系」です。通常は19m級車体に3扉のところ、中間にドアを設置し5扉とすることで混雑緩和を狙ったものです。奇手と言える取り組みでしたが、バブル景気で東京圏の混雑が激化すると、JR東日本は山手線に「6扉車」、地下鉄日比谷線、東武伊勢崎線、京王電鉄が「5扉車」を導入しました。
「多扉車」が消えたのはホームドアのせい?
JR東日本はその後、京浜東北・根岸線、横浜線、中央・総武線各駅停車、埼京・川越線、東急電鉄は田園都市線に6扉車を導入しましたが、いずれも2020年までに姿を消しています。
ホームドア対応が困難であることが要因のひとつですが、これまで見てきたように、混雑に対応して数を増やしてきたのがドアの歴史です。5ドア・6ドアが必要なくなったのは、東京圏の混雑が一定程度に緩和したことが根本にあるのでしょう。
前述のように開口部はドア枚数と面積で決まりますが、面積からのアプローチが「ワイドドア車」です。地下鉄東西線「05系(一部)」「15000系」のドア幅は通常より50cmも広い1.8m。車体長に占める開口部は、20m車体6扉車が39%、東西線ワイドドア車が36%と遜色ありませんが、地味な印象は否めません。
ドアが広すぎると開閉に時間がかかり、その間に乗り降りが絶えないため、かえってスムーズではない、という指摘もあります。東西線が唯一、本格的な運用を続けているのは、各駅ホームの混雑車両付近に多数の係員を張り付けて乗降を制御することで、開口部を最大限活用できるからです。
4扉のワイドドア車はホームドアにも対応可能です。最後まで生き残ったのはワイドドア車だったという話ですが、東西線の激しい混雑もコロナ禍以降、緩和していることを踏まえると、ワイドドア車も間もなく役割を終えることになるのでしょう。
・参考文献『100年の国鉄車両』日本国有鉄道工作局、車両設計事務所(交友社)
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