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「日産どうした!?」と思ったに違いない衝撃度 なぜあのイケイケの時代に激レトロな“パイクカー”だったのか

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  • 乗りものニュース
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ずいぶん昔の車に多かったイメージを現代社によみがえらせる、「パイクカー」というジャンルがあります。往年の名車を復刻するのとは意味が異なり、あくまでも「レトロ調の新開発車」を指すことが多いこのパイクカーですが、特にその開発に力を注いだのが日産でした。

元祖「パイクカー」! カテゴリーを切り開いた1台

 ひと昔もふた昔も前のクルマに多かったイメージを、現代車に甦らせたようなレトロ調のクルマを「パイクカー」と呼ぶことがあります。「パイク」とは「槍のような尖った武器」という意味で、レトロ感を持って時代の潮流にあえて逆らうようなコンセプトで開発されたクルマを指します。

Large figure1 gallery11 1980年代後半、当時のクルマの潮流にあえて逆らうように登場した日産Be-1(画像:日産)。

 往年の名車を復刻するのとは意味が異なり、あくまでも「レトロ調の新開発車」を指すことが多いのですが、特にパイクカー開発に力を注いだのが日産でした。

 1980年代のバブル景気のイケイケドンドン期に、あえてレトロ調のイメージで開発された斬新なコンセプトカーがありました。それが1987(昭和62)年登場のBe-1というクルマです。今見れば、往年のヨーロッパ車のようにも映るコンパクトでかわいいデザインですが、当時としては「なんでわざわざ時代に逆行するデザインに!?」と思う人も少なからずいたようです。

 しかし、1985(昭和60)年10月の東京モーターショーに日産が35台ものコンセプトカーを出展した際、中でもずば抜けた注目を浴びたのが、このBe-1でした。当時の初代マーチをベースに「ノスタルジックモダン」をテーマにしたデザインが施され、結果的に乗り手を限定しないかわいくて個性的な1台が完成しました。

 東京モーターショーでの反響を受け、日産は1987(昭和62)年1月に1万台限定でBe-1を発売。わずか2週間で6000台もの注文に至り、想像を絶する支持を集めました。2か月後の3月には注文を打ち切りに。結果的に限定数以上の注文を受けたことで、抽選販売となったことも当時自動車業界で話題になりました。

 性能面では数年前のものでも、デザインとコンセプト次第で最新技術をも凌駕する人気を得ることをBe-1が証明し、後の「パイクカー」というカテゴリーの礎になりました。また、東京・青山にはBe-1のオリジナル商品を扱うショップが期間限定でオープン。Be-1のコンセプトをモチーフにしたアパレルグッズなどを多数販売し、話題になりました。

 Be-1のヒットは結果的に、自動車メーカーの多くがそれまで市場に提案していた流れと、ユーザーが考える「クルマに求めるもの」「オシャレなクルマとは何か」という思いに、乖離があることを示す格好となりました。ちなみに、Be-1は今も中古車市場に出回っていて、「元祖パイクカー」の割には100万円以内と買いやすい値付けになっています。興味がある方はぜひチェックを。

オシャレカー続々! 第二弾は「PAO」

●第二弾:PAO

Large figure2 gallery12PAOのインパネ。簡素なつくりに見えるのもまた演出のひとつだ(画像:日産)。

 Be-1の想像を絶する支持を受け、日産は1987(昭和62)年の東京モーターショーに新たなパイクカーを出展します。それがPAOというモデルで、Be-1同様、初代マーチをベースにしながらもアウトドアのイメージを随所に感じさせるデザインでの登場でした。

 当時のリリースには「リゾート気分を感じさせるアドベンチャー感覚溢れるクルマ」とあり、Be-1からもう一歩飛躍させたコンセプトでした。PAOは1989(平成元)年1月から3か月間の予約申し込みを受け付け、この間の注文台数全てを販売しました。

●第三弾:S-CARGO(エスカルゴ)

 また、PAOと同年の1989(平成元)年、日産はこれまた斬新なパイクカーも発売。S-CARGO(エスカルゴ)という商用車で、初代パルサーバンがベース。その外観は、車名通り「カタツムリ」をイメージしたモデルですが、見た目のインパクトだけでなく、荷室が広いこともあり、ビジネスユースの実用性にも長けた1台でした。わずか2年間の限定生産車でしたが、8000台が販売されました。

●第四弾:フィガロ

 さらに日産は、新たなパイクカーを1989(平成元)年の東京モーターショーに出展。フィガロというオープンカーモデルで、これもまた初代マーチをベースにしたものです。数世代前のようなレトロ感を演出しつつ、ターボエンジンを搭載し、デザインやコンセプトの斬新性だけでなく乗り味にもこだわった1台でした。

 フィガロの一般発売は1991(平成3)年から1992(平成4)年までの2年間。当初日産では8000台の限定生産を予定していたものの、購入申し込みが殺到したため、2万台の限定販売となり、抽選方式での販売となりました。ちなみに抽選には21万もの応募があったと言われています。

 日本国内でも熱い支持を得たフィガロでしたが、特にイギリスでは今日まで絶大な支持を集め続け、生産終了から30年以上経った今も、フィガロのパーツを製造するリプロダクトメーカーも存在するほど、長きにわたって愛され続けています。

20年経て再注目されたパイクカーも

●第五弾:ラシーン

 そして、日産のパイクカーシリーズの最終モデルは、1994(平成6)年から2000(平成12)年にかけて販売されたラシーンです。ベースは7代目サニーの4WDで、クロスオーバーSUVとしての登場でした。

 角ばった独特のデザインは当時としてはかなり珍しく、これまた市場に衝撃を与えます。ただ、それまでの日産のパイクカーシリーズは限定販売や抽選販売でしたが、ラシーンはその制限がなく、2000(平成12)年の発売終了まで一般販売され続けました。

 ラシーンはフルモデルチェンジをせぬまま一代限りで姿を消した一方、近年では思わぬところで再び注目を浴びることにもなりました。アウトドアブーム、SUV人気の高まりなどを受け、一昔前の手頃なサイズ感・実用性から中古車市場ではラシーンの価格が高騰。ラシーンのカスタム車などは200万円近い価格で販売されるケースもあります。

日産から他社にも派生したパイクカー

 Be-1で切り開かれたパイクカーというカテゴリーは、日産的には2000(平成12)年のラシーンの生産終了で幕を閉じる格好になりましたが、同年トヨタからWiLL Viが登場。また、Be-1以前からレトロ調のクルマを作り続ける光岡自動車の各モデルも今日まで一定の支持を集め続けることとなり、ダイハツやスバルといった軽に強いメーカーからも1990年代初頭以降、レトロ調のモデルが複数ラインナップされました。

Large figure3 gallery13トヨタがヴィッツのプラットフォームをベースに制作したWiLL Viもパイクカーの文脈で語られる。パナソニックやアサヒビールといった全く異業種の5社との共同プロジェクトだった(画像:トヨタ)。

 自動車産業の歴史の中で「パイクカー的な試みは、日産以外のメーカーでもいつかきっと実践する試みだった」と言えなくもありません。しかしそれでも、あの1980年代後半のバブル期に、前例の有無を問わずBe1開発に取り組みパイクカーというジャンルを切り開いた日産の功績は、今日でも改めて評価されて良いように思えます。

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