「大正の広重」と呼ばれた男 鉄道会社がこぞって頼った鳥瞰図絵師・吉田初三郎の「スゴい地図」とは
- 乗りものニュース |

「洋画家失格」から鳥瞰図絵師へ
大正から昭和戦前期にかけて、ユニークな鉄道沿線観光図を描いた吉田初三郎という画家がいました。初三郎は1884(明治17)年に京都で生まれました。幼少の頃から将来は絵描きになりたいと決意しており、小学校を出ると京都着物の友禅図案絵師に丁稚奉公したり、京都三越の友禅図案部の職工として働いたり、下積みを重ねました。
皇太子(後の昭和天皇)が京阪の御召車で移動した際、『京阪電車御案内』を称賛。このことが吉田初三郎の人生を方向付けた(画像:KUZUHA / PIXTA)
単身上京して、日本を代表する洋画家である黒田清輝が主宰する「白馬会研究所」で学ぶと、日露戦争に出征後、京都に戻って洋画家の鹿子木孟郎に弟子入りします。
鹿子木はパリで隆盛を極めたアール・ヌーヴォーを体験し、1908(明治41)年に帰国したばかりでした。彼は、「美術家が民衆のために仕事をするのは卑しいと日本では思われているが、欧州では一流の美術家が広告やポスターを描いている」として、初三郎に商業美術の道を勧めました。
言い換えれば「洋画家失格」を告げられた初三郎は落胆しますが、師の言葉を受け入れます。そんな初三郎にとって転機となったのが、『京阪電車御案内』です。
「吉田式鳥瞰図」は、一般的な単視点的な鳥瞰図(bird’s-eye view)と異なり、複数の角度から見た姿を統合して表現する多視点画法を用いて、大量のスケッチを1枚の絵にまとめていくのが特徴です。
作品は1913(大正2)年に完成しましたが、初三郎は単に依頼をこなした程度の感覚しかなかったそうです。ところが1914(大正3)年、皇太子(後の昭和天皇)が男山八幡宮(現・石清水八幡宮)に向かう御召車の中で、京阪が用意していた初三郎の名所図画に興味を示し「これは綺麗で分かりやすい、東京へ持ち帰り学友に分かちたい」と称賛します。
これを聞いた初三郎は鳥瞰図師として生きる決意を固めます。東海道五十三次などを描いた浮世絵師・歌川広重にならい、洋画と日本画を融合した独自の技術で日本全国名所図絵を完成させ、芸術に昇華させるべく、「大正の広重」を自称するようになりました。
大正から昭和初期の日本では、交通網の整備が進んだことで観光ブームが起こります。初三郎の制作プロダクションである「観光社」に自治体、観光地、交通事業者からの依頼が相次ぎ、合計500種以上の鳥瞰図を作成しました。特に積極的だったのが鉄道事業者です。
大正~昭和期は私鉄が次々と開業した時代であり、関東だけでも現在の東急電鉄、京王電鉄、京急電鉄、小田急電鉄、東武鉄道、西武鉄道など、ほとんどの事業者が鳥瞰図を依頼しています。また、東京山手急行電鉄(後の京王井の頭線)は、会社設立時の株式募集案内パンフレットで東京都心をぐるりと囲む路線計画を鳥瞰図で表現しています。
「足で描き、頭で描く」唯一無二の制作手法
鳥瞰図ブームで類似の業者も現れますが、初三郎の徹底した制作に太刀打ちできるものはいませんでした。彼は制作の過程を「実地踏査写生」「構想の苦心」「下図の苦心」「着色」「装丁」「編集」「印刷」と説明しますが、特に重要なのは「実地踏査写生」です。
彼は、自身の写生は「手で描くのではなくて足で描き、頭で描く絵」といいます。「ある一地点の中心と思うべきところを、すばやく捉えねばならない。これは構図においても同様で、常にひとつの中心を定めて、これに基礎を置き、さらに部分的のスケッチを幾百枚となく集め、これを全交通に当てはめて、初めて山水の位置が決定せられる」と述べています。実際、彼は依頼を受けた地に頻繁に足を運び、歩き回って大量のスケッチをしています。
さらに「平面図を立体的鳥瞰的に再現するのであれば、その骨組みの根本は、自然のままの山水布置にあるのであろうが、(略)私の作品においては、必要と思われる中心点が、随所で拡大されて、他はその交通関係を示しつつ、全体の調子をつないでいる」と説明します。
つまり初三郎の鳥瞰図は、単に地図を立体的・俯瞰的に描いたものではありません。路線は実際の線路の形状、駅間距離にとらわれず大胆にデフォルメし、そこに地形、市街地、観光名所を強調して当てはめるという、再構築の技なのです。
方法論は第一作の『京阪電車御案内』からほぼ確立していたといえますが、それでもまだパンフレットの概要図の域を出ていません。しかし1927(昭和2)年の『小田原急行鐡道沿線名所案内』は、浮世絵風の緻密な描写が加わり、一つの「絵画」になったことが分かります。
しかし戦争の影が近付くと、こうした画法の地図は問題視されるようになり、活動は途絶えました。そんな彼が戦後、最初期に手掛けた作品が『HIROSHIMA』です。5か月におよぶ現地取材を経て、1945(昭和20)年8月6日朝の広島、原爆投下の瞬間、夕方の惨状など8枚の鳥瞰図を制作し、英文情報誌で世界に発信されました。
初三郎は1955(昭和30)年に71歳で亡くなります。晩年も鳥瞰図を描いていましたがすでにブームは過ぎており、往年の筆致も見られなかったといいます。
その後は長らく忘れられた存在でしたが、1999(平成11)年に堺市博物館が開催した企画展を契機に再評価が進みました。壮大で優美なパノラマ地図を描いた「大正広重」としてだけでなく、鉄道路線と沿線の関係を巧みに描いたジオグラフィックの先駆者としても語り継ぐべき人物です。
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