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若者9人、おばさんひとり。42歳の合宿免許

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  • 2021年11月27日
若者9人、おばさんひとり。42歳の合宿免許
若者9人、おばさんひとり。42歳の合宿免許
藤原綾「女フリーランス・バツイチ・子なし 42歳からのシングル移住」

このマンションが好きだから売らないという選択

 家を買うと思い立ったが吉日、不動産屋の久保さんに連絡を入れて、内見した家を購入する意思を伝えました。そして、鹿児島を発つ日に、空港で売買契約書と奄美大島産の黒糖を受け取りました。
 会社を辞めると決めたときもそうでしたが、一度決意を固めてしまうと、すっかりモヤモヤは晴れて、視界がクリアになりました。そして、父が亡くなった時と同じように、突然目の前にやらなければならないことがわらわらと現れました。
 ローンの申請や免許の取得、今住んでいるマンションをどうするか。
 まだまだ住もうと思っていた目黒のマンションは、自分の巣を作るつもりで壁紙を貼り替えたり、本棚や机を部屋の形状に合わせて作ったりと、もうすっかり愛着が湧いていました。ここを売ってくれたおばあちゃんは私が買うことを望んでくれたのに、たった数年で売り払うのは、彼女の気持ちを踏みにじるような気がします。
「築50年」「今は売り時」という機械的な声を振り払い、もうその手の価値観では生きないと決めて、この家を気に入ってくれる誰かに貸すことに決めました。いろいろといじってしまった分、ここがいいと思ってくれる人じゃないと、そもそもこの家を選ばない気がしました。
 そして、下の階に住んでいたときの家賃を考えれば、十分ローンは支払えるし、家賃をすべて返済に回せば、完済も早まります。マンションは古いけど、管理会社はしっかりしているし、修繕積立金もある。なにとぞなにとぞ。
 一方、鹿児島の家は、親戚に連絡を入れて銀行に話を通してもらい、担当者と遠隔でやり取りすることになりました。
 親戚の口添えがあったため、恐らく大丈夫だろうとは言われていましたが、案の定、審査には時間がかかりました。働けど働けど信用は得られず。フリーランスの世知辛さです。

 審査を待っている間に、合宿免許の日程が迫ってきました。久保さんにまだ審査の結果が出ないことを伝えると、合宿で宮崎に来るのであれば、ついでにリフォーム業者さんを紹介してくれるというのでお願いすることにしました。
 システムを作ったもん勝ちの見積もりサイトには加担せず、この繋がりを大事にしたほうがいい気がしました。誰にも中抜きさせず、霧島にお金を落とすのだ。
 2週間分の荷物をトランクに詰め込んで、2ヶ月も経たずして再び鹿児島へ向かいました。こうも往復していると、鹿児島との行き来にもいい加減慣れてきて、それが自分にとってそこまで苦ではないことがわかりました。きっと、車の運転ができたら尚のこと。
 まだ本審査が通ったわけではないのに、売主さんの許可を得て、久保さんと霧島の家に向かいました。自らも現場に立つという筋肉隆々の建築設計事務所の代表に、動線なんて知ったこっちゃない一軒家ワンルーム計画を伝え、ベースとなる見積もりを取ってもらうことにしました。新たな巣づくりの開始です。

25年前の中目黒の映像が、青春気分に水を差す

 合宿が始まる日の前日は、教習所近くにある鯉料理が有名な宿に泊まりました。夕食は鯉料理に次ぐ鯉料理が登場し、一生分の鯉を食べて眠りにつきました。
 翌朝は、旅館のご主人が教習所まで送ってくれることになっていて、同乗している間に新燃岳が噴火したときの話を聞いてみることにしました。
 2017年の噴火で火山灰が川に流入したことがニュースに流れた際、被害を受けた農家ばかりか、被害を受けていない周辺一帯の農家も取引を止められたり、勘違いを吹聴されたりと大変だったとのこと。やっぱり現地の人の声を直接聞くのが一番リアルです。

 教習所は開けた場所にあって、周辺はチェーン店がぽつりぽつり。山と畑に囲まれていて、謳い文句通り、星が綺麗に見えそうです。
 同じ日に入校したのは、私を含めて10人。想像していた通り、どう考えても私が最年長でした。若さがキラキラと輝いていて、東京ではすっかり見なくなったヤンキー衆3人も、この歳になると可愛らしく思えます。
 スケジュールを確認することすらせず、勝手に日曜日くらいは休みかなと思っていたら、そんな甘いものではありませんでした。朝から夕方まで学科と実技が詰め込まれ、夜は「満点様」というアプリを使った試験があります。生徒達から倖田來未と呼ばれていた担当教官からは、ハートがたくさん鏤められた励ましの言葉やフィードバックが届き、その上、私には仕事もありました。
 徒歩1分の距離に寮があって、食事は隣接しているスーパーか、歩いて10分のほっともっと、もしくは歩いて20分のコンビニしかありません。ファミリーレストランのお弁当付きプランもありましたが、なんだかそれも侘しくて付けなかったのに、散歩の時間ができるだけで内容は大して変わりませんでした。

 運転は下手ではありますが、褒めて伸ばすタイプの教習所のようで、教官はみんな穏やかでにこやか。この年になって怒られるのはダメージが大きいので、そのスタンスは助かりました。中には「ルールを守るっていうことはもちろん大切なんだけど、僕が伝えたいのは運転の楽しさなんです」と、素敵な言葉を放つおじさん教官も。
 両側にレンゲ畑が広がる開けた道や、ヘアピンカーブがある山道、教習車以外1台も見かけない高速道路など、この教習所だからこそ走れる道があって、それがとても楽しく、同時に東京で車を走らせることは決してないだろうと思うのでした。死が早まるだけです。
 学科も、そもそも授業が久しぶりだったので、その状況自体に心踊りました。
ただ、授業中に流れる映像は、どう考えても90年代に撮影されたもので、そこに登場する女の子は今はなき懐かしいブランドを身につけていました。
 後に事故を起こして多額の賠償金を背負う男の子が乗っている車はBMWで、みんな一軒家に住んでいる設定です。バブルはとっくに弾けているはずですが、それでも登場人物や街並みを見ていると、この2、30年の間に日本がどんどん没落していったことに気づきます。そして、この映像が撮りなおされることなく、今でも使われていることにも切ないものを感じました。

20歳年下の移住の先輩に聞くブラックなお話

 日が経つにつれ、だんだん生徒達の間でも交流が始まりました。最初に私に話かけてきたのは、沖縄からやってきたという金髪パーマの男の子。「満点様、終わりました?」という言葉をきっかけに、他の人とも話すようになりました。
 ハタチ前後という彼らの年齢を考えると、当然私は母親に近い年齢だと思いますが、みんな自然に話しかけてくれます。
 ある日の夜、ゴミを捨てようと外に出ると、その内のひとりがタバコを燻らせながら天を見上げていました。空にはたくさんの星が瞬いています。
「何してるの?」と声を掛けると、彼は痰をペッとはいて、「流れ星、見えるんすよ」と言いました。そして、「俺、明日誕生日なんすよ」と。
 そこから、いろいろな話をしました。
 彼が17歳のとき、先輩から東京でいい話があると誘われて、家出同然で東京に行ったこと。職場は目黒のラーメン屋で、週6で朝10時から夜1時まで働いたのに月給23万円だったこと。寝る時間がないので店の近くに借りたアパートの家賃が9万円だったこと。
 散々コキ使われて、また先輩に「いい儲け話がある」と言われたとき、それを断って鹿児島に戻ってきたそうです。実家に帰ると、母親は大号泣で迎えてくれて、今は一人暮らしをしながら、彼がいない間に再婚していた母親の相手の職場で、一緒に働いているとのことでした。

 私が霧島に移住しようとしていることを告げると、彼は驚いた様子でした。
「東京から霧島なんて、すごいっすね」
「17でひとり鹿児島から東京にやってくるほうがすごいよ」
 本当にそう思うのです。今考えれば、私は東京から離れたことはなく、学生時代は敷かれたレールを走っているだけで、そのレールに大した疑問も抱きませんでした。
「俺、何も考えてないだけすから」。
 剃り込みが入っていたであろう髪型に、細い眉毛。でも、照れ臭そうに言うその姿は、純朴な青年に見えるのでした。
 私が不動産屋さんにお世話になっている話をすると、彼も同じように家を仲介してくれた不動産屋のおばちゃんから連絡が来て、ご飯はちゃんと食べているのか聞かれ、たまに食事に連れて行ってくれるのだそうです。
 東京が失いかけている何かがそこにあって、その気持ちをお互いに共有できた気がしました。私が移住しようとしている理由も、少し伝わったように思えました。
「俺、23になるんすよ。もう終わりっすよね」
「私42で、まだまだこれから! って思ってるのにやめてよね!」
 ふたりで笑い合って、「やべ、満点様やらないと」と彼が言うので時計を見ると、既に0時を回っていました。
 部屋に戻る背中に「お誕生日おめでとう!」と言うと、彼は振り返って、また照れ臭そうに「うっす!」と言って帰っていきました。
 翌日の学科の時間、彼は後方の席で授業を聞かずに満点様に取り組んでいました。

東京さん、最近ちょっと目つき悪いですよ。

 合宿生活も1週間が過ぎ、毎日の食事が辛くなってきました。手料理が食べたい……。
 手作りの夕飯にありつくためには、30分以上歩いて駅の周辺まで行くしかなさそうです。普段から登山もやることだし、それくらいならと夕べの散歩がてら歩いて行くことにしました。
 調べてみると、その時間に開いていて、歩いていける距離に飲食店は3軒。ところが、実際に行ってみると、ひとつは既に休業していて、もうひとつは定休日。行ったり来たりでかれこれ1時間近く歩いて来たのに、空腹でまたコンビニ弁当に逆戻りは辛すぎる。最後の一軒である居酒屋に望みをかけて重い足取りで向かうと、赤提灯が朧げに光っていました。

 暖簾を潜ると、4人掛けのカウンターに3人組が座っていて、残りの1席に通されました。おじさん2人とおばさん1人で構成された3人から興味深そうな視線が飛んできます。
 席につくとすぐに隣りのおじさんから声を掛けられました。教習所から歩いてきたことを伝えると、あそこから歩いて⁉︎ と驚かれ、そこからなぜこの場所を選んだかに始まり、職業やら結婚歴やら根掘り葉掘り聞かれました。
 そこで、こちらも負けじと同じように質問を投げかけると、地域の話をたくさん聞くことができました。ひとりの方は時計屋さんで、町では最後の一軒。跡を継ぐ人もいないとのことでしたが、第九を歌うことが趣味で年末を楽しみにしているそう。
 残りの2人はご夫婦で、観光課にいた経験から地域の名勝をたくさん教えてくれました。
歴史に始まり、鹿児島弁と宮崎弁の違いや、そこで暮らす人々の違い。その地に刻まれた過去と今の状況。話すにつれて3人の酔いも回っていきます。地元への愛がビシビシと伝わってきました。
 私も東京が好きだったはずなのになあ。
 私の生まれ故郷は、いつの間にか私を置き去りにして、どこかにいってしまうような気がしました。今の私には、こんなに愛をもって東京を語れる気がしません。大好きだった町なのに、最近顔つきが変わってきてしまったのです。

 先日、渋谷駅の階段で、ヒールを履いて数m先を歩いていた女の子が見事にすっ転んだとき、ひとりも駆け寄ることはありませんでした。その女の子も相当痛かっただろうに、何事もなかったようにすっと立ち上がってスタスタと歩いていきました。
 その気持ちはわかるのです。私もそんなとき、恥ずかしいから誰も手を差し伸べないでくれと思っていました。でも、実際にその光景を目にすると、それは狂気に思えました。
 教習所で禁止されているからとお酒は断っていましたが、一杯くらいと何度か言われ、じゃあ一杯だけというと、お店の女将さんが私に小さな声で「ごめんね」と言って、ごく薄い焼酎の水割りを作ってくれました。
 3人は水のようにお酒を煽り続け、へべれけになったところで代行タクシーを呼ぶことになりました。「ここで奢らなきゃ宮崎県人の名が廃る」とすべて支払ってもらい、教習所まで送り届けてくれました。
 第九を歌うとき連絡をすると電話番号を交換しましたが、果たして連絡が来るかどうかはわかりません。今まで日本中を旅してきて、その後連絡を取ることはないけれど、思い出を紡ぐ番号がたくさん登録されています。

ミクロの視点で見るひとつひとつの出会い

 教習も終盤に差し掛かってきたとき、最初から誰とも話さずにひとりで過ごしていた女の子に話しかけてみました。応急救護の教習のとき、見ると、全身登山ブランドで固めていたので、これはと思ったのです。
 彼女は中国からきた留学生で、東京の大学を卒業したばかり。今は新宿に住んでいると聞いて、遥々関東からやってきたのは私だけではなかったことを知りました。学校ではジェンダーの研究をして、今は日本のゲーム企業に勤めようと思っているとのこと。予想通り、東京周辺の山々を登っていて、登山のために免許を取りにきたそうです。いつか一緒に山に登ろうと約束しました。
 もうひとり印象に残っているのは、福岡で水道工事をしている23歳の男の子。今、日本のインフラは老朽化が進み、橋やトンネルの半数は数年後には耐用年数を超えると言われています。水道管の老朽化も深刻で、たびたび取り沙汰されてきた問題です。
 その話を彼にすると、「もうボロボロっすよ。サビだらけ。2、3年後まで仕事びっしり入ってますもん」と一言。やはり、そうか。彼がいないと、飲み水が危険に晒されるんだなあと思うと感謝せずにはいられないのでした。「日本の水道、よろしくお願いします!」と言うと、笑顔でビシッと敬礼をキメてくれました。
 倖田來未教官は私の2つ上で、3人の子どもを育てるお母さん。一番下の子はなんとまだ1歳。あまりにも突然の離婚にうちひしがれていたところに、突如として現れた再婚相手とのお子さんだそうです。LINEでのやり取りを続けるうちに、歳も近いことからお互いの境遇を話すようになり、私のこれからをたくさんのハートマークで励ましてくれるのでした。

 マクロの視点とミクロの視点。このふたつを私なりに大事にしてきました。
 ひとつの現象を社会全体で見たときにどう見えるか、個々で見たときにどう見えるか。
 よく“平均”の概念が使われますが、平均は個を覆い隠してしまいます。現場の人の声を拾うのは、平均に惑わされないため。格差が広がっていったとき、この平均の概念を用いて社会が語られてしまったら、そこには格差など存在しないことになってしまいます。

 たった2週間で、経験値が飛躍的に上がった気がします。このひとつひとつの出会いが、何に結びつくかはいざ知らず、いつか自分で車を運転してこの町に再びやってこようと思いました。
 仮免で2人落ちてしまい、卒業式は8人で行うことに。校長先生から話があり、その後スクリーンに映像が映し出されました。
 交通遺児の話があり、その上で教官たちがどんな思いをもって指導にあたっているか、その思いが文字で起こしあって、背景には教官たちの指導風景や卒業していった生徒たちの写真が映し出されます。実は教官のなかのふたりは夫婦で、結婚式の模様が映し出されたときは、生徒から軽いどよめきが上がりました。
 映像が終わると、後ろの扉から教官たちがぞろぞろと入ってきて、全員並んで私たちに一礼し、最後は教官と生徒全員で記念撮影。それぞれ、担当教官から一言入ったメッセージカードを受け取りました。
 なんなんですか、この青春は。高校の卒業式では一切泣かなかったのに、歳なのでしょう、なんだかほろりときてしまいました。
 鹿児島に戻るバスを待つ間に、倖田來未教官に誘われて、留学生の女の子と3人で写真を撮りました。snowで撮られた写真は、3人とも肌がすべすべのつるつるに生まれ変わっていました。

 東京に戻り、鮫洲で学科の試験を受けたところ、満点様の効果は覿面で、無事に合格することができました。
 免許も取った、あとは本審査の結果のみ。
 銀行の担当者に進捗状況を聞くために連絡をして、話の流れでマンションを持っていることを伝えると、早く言ってくださいよとばかりに、それを担保にすんなりローンが通りました。もともと売る運命ではなかったんだなあ。この家との縁を改めて感じます。
 鹿児島の家の月々の返済額は、東京だと築50年の1Kの賃料。それで、120平米の平屋、プラス大きな畑。うむ。
 ローン、免許、リフォームの手配。全部、終わった。終わったぞ。始まっちゃうぞ。
 教習所を卒業して1ヶ月後、私は人生後半を過ごす巣を手に入れるために、また鹿児島へと向かったのでした。

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